電子音楽の歴史を切り拓いてきた作曲家、スザンヌ・チアーニ(Suzanne Ciani)が「NU Festival 2026」のために来日。アクトレス(Actress)とのコラボレーションライブでは、モジュラー・シンセサイザーのパイオニアであるBuchlaを使用したクアドラフォニック(4チャンネルサラウンド)パフォーマンスを披露し、会場を立体的な音響空間へと変貌させた。
本インタビューでは、音楽ジャーナリストの原雅明が、そのライブを起点に彼女独自の音楽観を探る。80歳を迎えた今なお進化を続ける、電子音楽のパイオニアの現在地とは。
私は作曲家、そして機械を愛する人。「女性には無理だ」というジェンダーバイアスの中で
Buchlaはもう一方の雄・Moogとは異なり、楽器のような鍵盤は付いておらず、タッチプレートやパッド、シーケンサーを使って無限の音を生成するシステムを作った。鍵盤を備えたMoogはポピュラー音楽の世界に広く浸透し、その発展に大きく寄与した。そしてBuchlaは、実験的な電子音楽の領域で音響の可能性を切り拓いてきた。空間の中で音を動かすというその設計思想は、現代のイマーシブなリスニング体験を先取りするものだったともいえる。
スザンヌ・チアーニはBuchlaを使った第一人者であり、電子音楽とポピュラー音楽の両方のフィールドで高い評価を得て、現行のシーン、クリエイターたちにも影響を与えている。クラシック音楽を学び、ピアノを弾いていた彼女が、Buchlaの生みの親であるドン・ブックラ(Don Buchla)のもとで働いて電子音楽を探求した軌跡は、作曲家、演奏家として唯一無二のものだ。
実験的な電子音楽から企業のサウンドロゴや映画音楽まで、多岐にわたる活動を経て、グラミー賞に5回ノミネートされる作曲家として活躍してきた。また、バークリー音楽大学の客員研究員も務め、後進の指導にもあたった。そして、現在の彼女は、Buchlaの原点に戻り、そのサウンドの魅力を伝え、若い世代との新たな試みにも挑んでいる。
プロデューサー、DJのアクトレスとのライブパフォーマンスのために「NU Festival 2026」で来日した彼女にインタビューする機会を得た。これまでの活動を振り返りつつ、いくつかの重要なトピックを掘り下げて話を伺った。
原:まず今回のNU Festivalでのパフォーマンスについてお聞かせください。クアドラフォニックによるライブを披露されましたが、ステージの環境はいかがでしたか。
チアーニ:あの環境は、私にとっては「ホーム」のようなものです。私はいつもクアドラフォニックで演奏していますし、それ以外の方法ではほとんど演奏しません。私にとっては、あれがごく自然な環境なんです。時々、「別のセットアップでも演奏してほしい」とお願いされることがありますが、お断りしています。私の音楽は、あの空間で鳴ることを前提に作られているので、それ以外では成立しないと感じています。
原:なぜクアドラフォニックにこだわり続けているのでしょうか。
チアーニ:私は、クアドラフォニック以外で演奏したことがほとんどありません。Buchlaという楽器そのものが、空間の中で音を動かすために設計されているんです。電圧によってピッチを変えたり、音量を変えたり、音色を変えたりするのと同じように、音の位置もコントロールできます。
音を空間の中で移動させることも、リズムを作ることも、私にとっては同じ作曲行為なんです。だから、音が前から聴こえるだけという環境は、私にとっては完成形ではありません。私は空間全体を楽器として扱っています。その考え方があまりにも自然なので、逆に普通のステレオ環境で演奏することに違和感を覚えます。
ただ、残念ながら、まだその考え方を共有できる人は多くありません。私にとっては当たり前なのですが、多くの人はまだその体験をしたことがない。それが少しもどかしいですね。それを実現できる機材も、まだ十分ではありません。もっと多くの人が自由にクアドラフォニックを扱えるようになることを願っています。
——Buchlaは開発当初から4チャンネルサラウンドやポリフォニックのパッチングを想定して、1つのモジュールに4つ(クアッド)の同一回路を搭載する構成を取っていた。オーディオ再生装置としての4チャンネルサラウンドは、1960年代後半から開発が始まり、1970年代にはCBSのSQ(日本ではCBS・ソニーが展開)やサンスイのQSなど、マトリックス方式の4チャンネルステレオが各種発表され、対応ソフトとしてクアドラフォニックのレコードもリリースされた。
原:Buchlaに初めて触れたのはいつのことですか。
チアーニ:大学院で作曲を学び始めた頃のことです。そこで初めてドン・ブックラと出会いました。彼は大学の近くにいましたし、その頃、私はサンフランシスコ・テープ・ミュージック・センター(SFTMC)にも通っていました。
そこは誰でも利用できる施設で、本当にさまざまな電子楽器が置かれていたんです。当時としては、とても珍しい場所でした。今でも電子楽器に自由に触れられる環境は決して多くありませんが、当時はなおさらでした。
SFTMCでは、1時間5ドル払えば、好きなだけ機材を試すことができたんです。そこには「Buchla」もありましたし、「Moog」もありました。さまざまな電子楽器を実際に触りながら、自分の音を探していくことができました。
原:あなたはクラシック音楽を学び、ピアノを演奏されていましたが、なぜ電子音楽に興味を持つようになったのでしょうか。
チアーニ:私にとって最も大きかったのは、「これは私にもできる」と思えたことです。電子音楽という世界に出会ったとき、それまで感じていた多くの制約から解放されたような気持ちになったのです。
クラシック音楽の世界では、女性であることによって数え切れないほどの制限がありました。例えば、指揮を学んでいた頃には、「女性にはオーケストラの前に立つ資格はない」と言われたり。作曲の授業でも、「女性は長い作品は書けない」といったことを平然と言われたこともあります。誰も露骨に排除するわけではありませんが、「女性には無理だ」「女性には向いていない」という空気が、常に存在していたんです。
私は子どもの頃から、自分は作曲家になる、作曲家として生きていくというビジョンを持っていました。でも、その当時、女性の作曲家という存在はほとんど見当たりませんでした。ラジオを聴いても女性作曲家の作品は流れてきませんし、私の周囲にもそういうロールモデルはいなかったのです。
そんな状況の中で電子音楽に出会ったことで、「誰の許可も必要ない」「誰かに認めてもらわなくても、自分一人で音楽を作ることができる」という自由を感じました。それは私にとって、大きなエンパワーメントでした。
原:電子音楽の世界では、女性は活動しやすいのでしょうか。
チアーニ:私はよく「テクノロジーの世界は男性社会だ」と言われます。でも私は、自分自身をエンジニアだとは思っていません。私はエンジニアと一緒に仕事をしていますが、本質的には「機械を愛する人」なんです。楽器との関係を築いていくことが私の仕事です。それには時間がかかります。
ヴァイオリンを手にしたその日に演奏できる人はいませんよね。それと同じです。長い時間をかけて楽器と対話し、その楽器が何を求めているのか、自分が何を表現したいのかを少しずつ理解していく。電子楽器もまったく同じです。
音楽業界における女性の立場について言えば、私が若かった頃は本当に厳しい時代でした。レコード会社へ行っても理解されません。「歌えばいいじゃないか」と言われることもあって、女性には歌手としての役割しか期待されていませんでした。あるいは見た目を求められる。作曲家や演奏家として評価されることは、とても難しかったんです。
商業音楽の世界は、女性にとって非常に狭い場所でした。今でもその問題は完全には解決していません。たとえばグラミー賞にもエレクトロニックミュージック部門がありますが、そこに並ぶ音楽は私が考える電子音楽とは少し違います。ダンスミュージックが中心ですし、私が追求してきたものとは方向性が異なります。
それでも、若い世代が古いアナログ機材に興味を持ち、モジュラーシンセサイザーを使い始めていることは、本当に素晴らしいことです。私が昔から夢見ていた世界が、ようやく現実になってきた。そう感じています。
Buchlaによる作曲とは、音の動きや時間の流れを構築していくプロセスそのもの
——Buchlaの開発をドン・ブックラに依頼して、電子音楽の銘盤と言われる『Silver Apples of the Moon』(1967年)を制作したモートン・サボトニック(Morton Subotnick)は、SFTMCの設立者の一人でもあった。そして、スザンヌ・チアーニの良き理解者でもある。サボトニックとチアーニは、電子音楽との出会いによって伝統的な作曲から離れていったとされる点でも共通している。
原:過去のモートン・サボトニック(Morton Subotnick)さんとの対談では、お二人とも伝統的な対位法や和声法を学びながら、そこから自由な音楽制作へ向かったことについて話されていました。改めて、その経験について教えていただけますか。
チアーニ:私とモートンは同じ電子音楽家ではありますが、考え方はかなり違います。同じBuchlaを使っていたとしても、その使い方は人それぞれです。電子楽器というのは、決まった使い方があるものではありません。何百万通りもの可能性があります。ですから、同じ楽器を使っているからといって、同じ音楽観を持っているわけではないんです。私たちはまったく違う考え方を持っていました。
原:あなたはBuchlaをどう使ってきたのでしょうか。
チアーニ:今では当たり前に聞こえるかもしれませんが、当時は電子音楽といえばスタジオで制作するものという考え方が一般的でした。ライブ演奏のための電子楽器という発想そのものが、とても革新的だったんです。
私は、空間の中で音を動かす方法まで考えていたドンのビジョンを受け継ぎながら、自分自身のライブパフォーマンスを発展させてきました。
原:ピアノで作曲・演奏することと、「Buchla」を使って作曲・演奏することでの違いは何でしょうか。
チアーニ:私は今でも、シーケンサーを使って作曲しています。特に16ステップのシーケンサーを4基組み合わせたシステムを、1970年代からずっと使い続けています。
当時は政府の助成を受けて、このシステムについて研究する機会もありました。その成果として、「Buchla Cookbook」と呼ばれるレポートを書いています。そこには操作方法だけではなく、Buchlaという楽器の考え方や、私自身の作曲方法、テクニックなどもまとめました。私にとって作曲とは、自分の音楽を表現するための「言語」です。
歴史を振り返れば、多くの作曲家が、それぞれ異なる方法で自分の音楽を形にしてきました。Buchlaも同じです。私はBuchlaを「作曲するための楽器」だと考えています。まず素材を選び、それを電圧によってコントロールし、音の動きや時間の流れを構築していく。そのプロセスそのものが作曲なのです。
原:Buchlaで作曲する上でも、楽理を専門的に学んでいることは重要なのでしょうか。
チアーニ:役には立ちますよね。
原:若い世代でBuchlaを使う人には、作曲を学んでいない人もいると思うのですが、その点についてはどのように考えていますか。
チアーニ:そうですね。ただ、それは彼らにとって新しい発見をしていく過程だと思うので、それはそれで面白い道ではあると思うんですね。もちろん、最初は皆さん機械との付き合い方を学ぶところから始まります。どんな楽器でもそうですが、まずはその楽器との関係性を築いていく必要があります。
ただ、その先が重要なんです。機械の扱い方を覚えるだけでは音楽にはなりません。そこから自分自身の音楽をどう積み上げていくのか。その方法を見つけることが本当の課題になります。このテーマだけでも何時間でも話せるくらい大きな話なので、今日はこのくらいにしておきます(笑)。
電子音楽が市民権を得た現在──「もう思い残すことはない」
——スザンヌ・チアーニは、Buchlaを用いた電子音楽の探求を続ける傍ら、1970年代半ばからは企業の広告用ジングルの制作を手掛けることで生計を立てていった。映画やテレビの音楽やサウンドエフェクトも担当した。そして、映画『縮みゆく女(The Incredible Shrinking Woman)』(1981年)の音楽を担当したことでハリウッド映画のスコアを単独で手掛けた初の女性作曲家となった。
さらに、彼女の商業的デビュー作である『Seven Waves』(1982年)が発表され、アンビエント/ニューエイジの代表作のひとつとして知られることとなった。1990年には電子音楽ではないソロピアノ作『Pianissimo』も発表した。一方で、1970年代のソロパフォーマンスが2010年代になってから紹介されたことで、彼女の活動は新たな進展を見せることとなった。
原:『Buchla Concerts 1975』(2016年)は、あなたの代表作として現在では高く評価されています。それにもかかわらず、長らく正式にリリースされなかったのはなぜでしょうか。
チアーニ:まず、あの作品は当時のライブを録音したものです。実は、あの頃はライブをきちんと録音する習慣がほとんどありませんでした。アルバムに収録されている音源は二つのコンサートから構成されています。一つは当時録音したカセットテープ。もう一つはラジオ局で収録されたものです。
音質はラジオ局の方が少し良いのですが、それでもクアドラフォニックではありません。つまり、当時私が実際に体験してほしかった音場を、そのまま再現しているわけではないんです。それでも、「1975年にこういう音楽を演奏していた」という記録を残すことには意味があると思いました。だからリリースすることを決めました。
チアーニ:その後、私は日本で最初のアルバム(『Seven Waves』)をリリースしました。当時、日本のレコード会社の方々には本当にお世話になりました。アメリカでは、レコード会社へ行っても誰も真剣に音楽を聴いてくれません。オフィスでは電話が鳴り、人が話し続け、音楽はただ流れているだけでした。ところが日本では、静かな部屋で、お茶まで出していただいて、最初から最後まできちんと耳を傾けてくださる。それは私にとって本当に印象的な体験でした。
私はBuchlaと約10年間活動していましたが、その時間はとても孤独でもありました。誰にも理解されない。そんな感覚をずっと抱えていたのです。その後に発表した作品では、クラシック音楽のバックグラウンドと電子音楽を融合させようと考えました。電子音楽だけれども、美しいメロディを持ち、ときにはショパンを思わせるような要素も取り入れる。そうした自分自身の音楽を模索していったのです。
原:『Buchla Concerts 1975』がリリースされた2010年代には、あなたの初期作品のような電子音楽を受け入れる新しいリスナーが増えたように感じていますが、その実感はありましたか。
チアーニ:もちろんありました。私が活動を始めた1970年代には、こうした音楽を理解してくれる人は本当に少なかったんです。電子音楽というもの自体がまだ一般的ではありませんでしたし、ましてモジュラーシンセサイザーによるライブパフォーマンスを理解してくれる人はほとんどいませんでした。ところが近年になって、若い世代がアナログシンセサイザーやモジュラーシステムに興味を持ち始めました。それは私にとって、とても嬉しい変化です。
私がずっと思い描いていた世界が、ようやく現実になり始めたような気がしています。当時、私たちは「シンセサイザー」という言葉すらあまり使っていませんでした。でも今では、多くの若いミュージシャンがモジュラーを手に取り、自分たちなりの表現を探しています。それを見るたびに、本当に幸せな気持ちになります。冗談で「もう思い残すことはないから死んでもいい」と言うこともありますが(笑)、まだクアドラフォニックが世界中に定着していませんから、それまでは頑張らなければいけませんね。
電子音楽とオーケストラの融合。それを可能にしたものとは?
——『Buchla Concerts 1975』のリリースを経て、チアーニは40年ぶりとなるBuchlaのソロパフォーマンスをクアドラフォニックのサウンドシステムで実現した。それはライブアルバム『Live Quadraphonic』(2018年)として発表された。その後も、初期の未発表音源と現在のライブ音源のリリースが続いた。精力的にパフォーマンスも続けたことで、若い世代の新たなリスナーも惹きつけていった。
原:近年はアクトレスやケイトリン・アウレリア・スミス(Kaitlyn Aurelia Smith)など、世代の異なるアーティストとのコラボレーションも積極的に行われています。そこから得たことを教えてください。
チアーニ:実は私は長い間、コラボレーションがあまり得意ではありませんでした。どちらかというと、すべてを自分でコントロールしたい性格だったんです。作品の細部まで自分で決めたいという気持ちが強くて、他人と一緒に何かを作ることにあまり魅力を感じていませんでした。
でも年齢を重ねるにつれて、その「すべてを支配したい」という感覚が少しずつ薄れてきました。その結果、コラボレーションそのものを楽しめるようになったんです。
チアーニ:たとえばアクトレスとの演奏では、事前に「こういう音楽をやろう」と細かく打ち合わせをすることはほとんどありませんでした。私たちは音楽を通して会話をしています。その瞬間、その場に生まれるエネルギーに耳を傾けながら、お互いに応答していく。まるで即興の対話のような体験なんです。
もちろんソロパフォーマンスにも魅力はありますが、こうした対話の中で生まれる予想外の展開は、とても刺激的です。最近はそういう演奏が本当に面白いと感じています。また、学生たちと接する機会がありますが、若い世代から受ける刺激もとても大きいですね。
——チアーニの最新作である『CIANI / ORKEST』(2026年)は、サイモン・ドブソン(Simon Dobson)指揮のメトロポール・オーケストラとのコラボレーションである。Buchlaと50人編成のオーケストラの演奏が、イマーシブなクアドラフォニックのサウンドで再生される。NU Festivalのアフターイベントとして開催されたこのアルバムのリスニング・セッションでは、アーツ・テクノロジストでエンジニア、プロデューサーでもあるKamranVが開発した「Quark」というデコーディング用のプラグインを使って、Qobuzのハイレゾ・ストリーミング音源がクアドラフォニックで再生された。
原:『CIANI / ORKEST』は、あなたにとって新しい挑戦だったと思います。この作品が生まれた経緯について教えてください。
チアーニ:アムステルダム・ダンス・イベント(ADE)がこのプロジェクトを始動させました。彼らが私に連絡をくれたのです――確かパンデミックの最中だったと思います――そして、Zoomで打ち合わせを行いました。その会話の中で、ADEのオープニングコンサートで私がメトロポール・オーケストラ(Metropole Orchestra)と共演するというアイデアが提案されました。それがきっかけで、このプロジェクトが動き出したのです。
実は、このアイデア自体はずっと昔からありました。バークリー音楽大学で客員講師をしていた頃にはすでに、「いつか電子音楽とオーケストラを本当の意味で融合させたい」という夢を持っていたんです。電子音楽をやっている人なら、多くの人が一度はそういうことを考えるのではないでしょうか。
このプロジェクトでは、本当に電子音楽とオーケストラが融合できたと思っています。その理由の一つは、オーケストラの演奏家たちが大きく変わったことです。昔は、楽譜に書かれた音を正確に演奏することが何よりも重要だと考えられていました。もちろんそれは今でも大切ですが、現在の演奏家たちは、それだけではありません。さまざまな音色や響き、多様な表現を受け入れる柔軟さを持っています。だからこそ、この作品が成立したのだと思います。
さらに、アレンジャーやコンポーザーの方々も本当に素晴らしかった。私は電子音楽のアイデアを書き、それを彼らに渡しました。そこから、アレンジャーたちは自由に創作し、そのシーケンスや音色をもとに作品を構築していきました。
チアーニ:彼らは私の電子音楽に対して、私自身では思いつかなかった発想をたくさん加えてくれました。だからこそ、本当の意味でのコラボレーションになったと思っています。私はその中で、「どうすれば電子音楽とオーケストラを一つの空間の中で最も美しく響かせることができるか」ということを考え続けました。それはとても力強い体験でした。
原:『CIANI / ORKEST』で、かつて取り組んでいたクラシック音楽を思い出しましたか。
チアーニ:私は長い間、アコースティック音楽の世界から離れていました。でも、この作品を通して、その世界へもう一度戻ってきたような感覚があったのです。クラシックを学んでいた頃から電子音楽へ進んだとき、私は電子楽器が持つ無限の可能性に魅了されました。
一方で、長い年月を経て再びオーケストラと向き合ってみると、その世界もまた大きく進化していたんです。以前は気づかなかった表現や可能性が、たくさん存在していました。電子音楽も、アコースティック音楽も、それぞれが今もなお進化し続けています。その二つが出会うことで、新しい世界が開ける。今回の作品は、そのことを改めて実感させてくれました。
スザンヌ・チアーニ(Suzanne Ciani)
1946年、アメリカ・インディアナ州生まれ。作曲家、電子音楽家、サウンドデザイナー。モジュラー・シンセサイザー「Buchla」の初期ユーザーとして、その音楽表現の可能性を切り拓き、電子音楽史を代表する存在となった。1970年代には自身のサウンドデザイン会社を設立し、AT&Tやコカ・コーラをはじめとする企業のサウンドロゴ、映画、ゲームなど幅広い分野で活躍。1981年には映画『The Incredible Shrinking Woman』の音楽を担当し、女性として初めてハリウッドのメジャー長編映画音楽を単独で作曲した人物として知られる。1982年に発表した『Seven Waves』でソロアーティストとしての活動を本格化させ、その後も電子音楽、ニューエイジ、アンビエントを代表する数々の作品を発表。近年はBuchlaによるクアドラフォニック(4チャンネル)・ライブを世界各地で展開し、新世代のアーティストにも大きな影響を与え続けている。2017年には女性として初めてMoog Innovation Awardを受賞。2026年にはオランダのメトロポール・オーケストとの共演アルバム『CIANI/ORKEST』、Actressとの共作『Concrète Waves』を発表するなど、80歳を迎えた現在も第一線で創作活動を続けている。
Photos:Cosmo Yamaguchi(Interview)、Yukitaka Amemiya / NU Festival(Live)
Words:Masaaki Hara
Edit:Kunihiro Miki
Translate:Emi Aoki