ヒップホップを、メンタルヘルスの観点から読み解いてみよう。
5大要素である「MC」「DJ」「ブレイクダンス」「グラフィティ」「知識」から、黒人セラピストが展開した独自のウェルネス論があるので紹介したい。

メンタルヘルス+ヒップホップでメンタルホップ

「ヒップホップはMC、DJ、ブレイクダンス、グラフィティ、知識の5大要素から成る」。ヒップホップカルチャーを語る際、導入部分は大体こうだ。ヘッズにはすっかり耳ダコの常套句だと思う。そもそもヒップホップとは、音楽ジャンルではなく「カルチャー」の総称を指す言葉だ。カルチャーとしてのヒップホップは前述の5つの表現手法で成り立っていて、一つたりとも欠かせない。

これら5大要素からヒップホップとウェルネスとの接点を説くのが、ニュージャージー州拠点の医療ソーシャルワーカー、Randolph D. Sconiers博士だ。メンタルヘルス療法やメンタルヘルス教育の分野で20年以上の経験を持つベテランセラピスト。同州の少年司法委員会などの組織と提携し、若者を対象とした無料シンポジウムの開催やメディアへの寄稿、 ニューヨークの老舗ヒップホップR&B専門ラジオ・Hot 97への出演やポッドキャスト配信など、精力的に活動している。

米メディアHuffPostで「知っておくべき15人の黒人男性セラピスト」の一人として紹介され注目を集めたRandolph博士が開発したのが「Mental-Hop(メンタル・ホップ)」。ヒップホップカルチャーを通してメンタルヘルスの教育を行うプログラムだ。「ヒップホップとメンタルヘルスは、僕らが今日必要としているスーパーフレンズ」というポジティブなワードを連発するRandolph博士のウェルネス論とは? ヒップホップはどのようにメンタルウェルネスに繋がるのだろう。

Randolph D. Sconiers博士。
Randolph D. Sconiers博士。

【1. MC】

ヒップホップにおいて、MCとは「Microphone Controller(マイクロフォン・コントローラー)」を指す*。DJが曲を流すその隣で、喋りやラップでパーティーを盛り上げるパフォーマーのことだ。現在のシーンではMCとラッパーが一緒くたに扱われがちだが、ヘッズからは「一括りにされちゃ困る」と野次が飛んでくるかもしれない。MCとラッパーの違い、それはゴッドMCとして崇められるRakimの言葉を借りるならば「MCはウィットに富んでいて言葉が巧み。リズムに乗せる言葉選びも複雑だ。一方でラッパーは聴衆を沸かせ盛り上げることに注力している」。

*広義では、イベントの進行や盛り上げ役を務める司会のことをいう(バラエティ番組の司会者がMCと呼ばれているように)。ちなみに司会を意味するMCは「Master of Ceremony(マスター・オブ・セレモニーズ)」の略。

Randolph博士はこう説く。

感情とストーリーを解放するMC

博士はMCを「Mental Health Creatives(メンタルヘルス・クリエイティブス)」と提唱する。ヒップホップにおけるMCがステージ上でマイクを握り言葉巧みに観客を揺さぶるように、人々にストーリーを共有し、会話のきっかけを生み、癒しを与える存在として機能するのではないかと期待する。

幼少期の思い出やいまある人間関係、暴力やトラウマ、社会的不平等やうつ病との闘いなど、恥じることなく声に出す。その行為は、内にある感情を解放することは「話し手のMC(メンタルヘルス・クリエイティブス)自身だけでなく、リスナーにも大きな力や刺激を与えます」。特に現代には、より多くのメンタルヘルス・クリエイティブスの必要性を感じている、とのこと。

自身をMCとして捉えるのではなく、意識的にメンタル・クリエティブスとしてリスナーに向けて話すことで、それ自体がメンタルウェルネスの働きかけになる、ということだ。

【2. DJ】

DJはDisc Jockey(ディスクジョッキー)の略。ターンテーブルやミキサーを使用し、場所や雰囲気に合う曲を選びノンストップでプレイする役割を担う。ヒップホップカルチャーにおいて最も重要な要素だと言いきる者もいる。

Randolph博士はこう説く。

“プレイリストをつくる”セラピー

音楽は気分を盛り上げ、雰囲気を作り出し、エネルギーを活性化してくれるが「その空間を作り上げるのがDJです」。たとえば聴衆を盛り上げたいのならDMXの『Where My Dogs At』を、母親との関係を振り返るエモい瞬間となれば2Pacの『Dear Mama』を、ヒップホップドリームを勝ち取った同士を讃えたいのならThe Notorious B.I.G.の『Juicy』を。こんな具合に、選曲次第でリスナーにさまざまな感情の変化をもたらせることができる、という。

個人的なリフレクションや自身の感情を読み取りながら選曲し、エモーショナルな時間・空間をつくることにフォーカスしたDJを行うことでメンタルに働きかける、ということ。博士からはこんなアドバイスも。

「時々は、自分のための“DJ”になってみてはどうでしょう?」。1日ゆっくり時間をかけ、気分を高めてくれる曲や癒しと希望を与えてくれる曲、やる気を呼び起こしてくれる曲などを選んでみる。プレイリスト自体もしかり。「『困難を乗り越えるのに役立つ曲』を自分で選ぶという行為は、それだけでパワーになるものです。

自分を理解し、癒すための行為としてのプレイリスト作成。癒しの音楽を聴くだけでなく、選ぶところからが、実はセルフセラピーのようなもの。

【3. ブレイクダンス】

ブレイクダンスとは、ヒップホップ創生期の1970年代にサウスブロンクスで生まれたストリートダンスのスタイル。音楽にあわせ、アクロバティックでダイナミックな技を組み合わせて踊るのが特徴だ。当時はギャング同士の抗争や暴力事件を解決するために、ブレイクダンスのバトルが用いられていたという。またブレイクダンスが2024年パリ五輪の新競技に追加されたことは記憶に新しい。

Randolph博士はこう説く。

うつを緩和する運動

ブレイクダンスと出会い、挫折を経験しながらもハリウッド出演を果たすまでの挑戦を描いた青春映画『Breakin’(1984年)』。ブレイクダンスはもちろん、DJやグラフィティなどを含むヒップホップ黎明期の映像を収めた映画『Beat Street(1984年)』など、ブレイクダンスが多くの映画にフィーチャーされたことをあげながら、運動がメンタルにもたらす影響について触れる。

ただし「深刻な精神疾患のある人にヘッドスピン(頭だけで体を支えて回転する技)やウィンドミル(床に背中をつけながら両足を回転させる技)を強要しているわけではありませんよ。ただ音楽に合わせて体を動かすことは、精神疾患を治療している人やメンタルヘルスに焦点を当てている人が利用できる、最適の組み合わせだと思うんです」。

これに関してはヒップホップである必要はないものの、MC、プレイリスト作成などとあわせて行うことで、より一貫したセルフセラピーへの期待には頷ける。

MENTAL-HOPロゴ

【4. グラフィティ】

グラフィティとは外壁や建造物、公園や電車などに描かれる文字や絵のこと、及び、それを描く行為のこと。もちろん所有者の許可を得てグラフィティを描くことは(ほぼ)なかったため、このような行為は器物損壊による犯罪行為にあたる。今でこそアートとして賞賛されるグラフィティだが、治安が悪く犯罪が多かった当時のニューヨークでこれをアートと認識する人は少なく、大きな社会問題となっていた。

Randolph博士はこう説く。

感情や葛藤を自分で葬ること

一般的に公共施設や公共交通機関にスプレー塗装するという行為は、非合法的な街の落書きと認識される一方で、アート的表現であり社会的主張であるとも捉えられたことを「グラフィティは、アイデンティティの表現でありコミュニケーションの意味合いを持っていたから」だと博士はいう。

「心理学の父と称される精神科医ジークムント・フロイトは、このような言葉を残しています。表現されないままの感情は決して死ぬことはありません。 それらは生きたまま埋葬され、後で醜い形となって出てくるでしょう」。そこにおいて、グラフィティは自己表現とクリエイティビティを兼ね備えており、“感情を表現するヘルシーな方法”として多くの若者によって実践されてきた、という。

つまり、自分の感情や内面の葛藤をグラフィティとして外に出すという行為は、感情を自ら葬り去るためのクリエイティブな実践だといえる。「メンタルヘルスにはより多くのアートが必要であり、またアートにもメンタルヘルスが必要だと考えます。どちらも人々が自己表現し、成長し、そして癒しを得られる効果がありますから」。

【5. 知識】

本来、音楽ジャンルではなく文化の総称を指すヒップホップ 。音楽業界やメディアは文化としての側面にあまりスポットライトを当てず、音楽ジャンルとして発信されてきたが、ヒップホップ3大偉人の一人で「ヒップホップ」の名付け親、シーンの生き証人であるAfrika Bambaataaが5大要素として最後に加えたのが「知識」だ。ヒップホップの起源や歴史、文化の基本的概念を学んでほしいという願いを込めている。

Randolph博士はこう説く。

知識をもち、学び繋げて広げるウェルネス

知識は、ヒップホップとメンタルヘルスを結びつける上で非常に重要だと説く博士。ヒップホップを、セラピー、そして学問や政治、コミュニティサービスなど様々な分野に持ち込むことができるといい、つまりそれはヒップホップの“音楽以上の実践”に繋げる、ということだ。

学問や政治について考え、実践することはいまでは個人の社会的なウェルネスと密接であり、コミュニティサービスなどに繋げていくことは、自身と他社のウェルネスの実現だ。ヒップホップについての知識をもったとき、人々のメンタルヘルスや体験を向上させ、家族関係を再構築させ、コミュニティ全体を癒す助けになる。

「ヒップホップとメンタルヘルスは、僕らが今日必要としているスーパーフレンズだと思うんです。この両者がタッグを組むことで、メンタルヘルスという文化が根付いていない地域に住む人、メンタルヘルス(のサポート)自体を懐疑的に思う人、感情を吐露するための安全なスペースがないことに苦しむ有色人種グループにリーチできますから。ヒップホップは、メンタルヘルスという安全なスペースへの魅力的な入り口になると思っています」

Eyecatch Graphic by Yu Takamichi (HEAPS)
Images via Dr. Randolph D. Sconiers
Words: Yu Takamichi (HEAPS)