整体の第一人者で、野口整体の創始者である野口晴哉が遺した、貴重な音楽室がある。そこには、ヴィンテージのオーディオ機器や、現代音楽まで網羅したクラシック音楽の膨大なレコードコレクション、グランドピアノがあり、歴史を感じる調度品に囲まれている。天井が高く居心地の良い、音楽のためだけに作られた部屋は、他に類を見ない特別な空間だ。
長年使われることなく保存されてきた土蔵の音楽室は、いまリスニングの場として再生され始めている。野口晴哉記念音楽室として、その遺産の保存、継承に取り組む〈全生新舎(ぜんせいしんしゃ)〉を主宰する野口晋哉氏が、管理、運営している。
この音楽室でのリスニングに、レコードセレクターとして参加した文筆家/選曲家の原雅明が、音楽室の成り立ちや整体との関係、リスニングの新たな可能性について、野口氏に話を伺った。
歴史ある特別な音楽室の再生
原:野口晴哉記念音楽室がある、狛江稽古場という場所の話から伺わせてください。
野口:ここは野口晴哉の自宅として始まり、野口家が3世代にわたって管理してきた、彼の人生そのものが重なっていると言ってもいい場所です。
晴哉は上野の貧しい家庭に生まれ、学校にも通えず幼くして丁稚に出されましたが、独学で治療術を学び、生命哲学と腕一本で名声を築いた人でした。一方で妻の昭子は、京都御所生まれで近衛文麿を父に持つ名家の出身という対照的な背景を持っています。そんな二人が子供達を連れてここに移り住んだのが1958年のことです。
土蔵は当初から音楽室として造られ、戦前から掻き集めてきた機材を敷き詰め、改築と改良を重ねて、1975年に今のセッティングとなりました。翌年に晴哉が亡くなり、その後祖母や叔父が守ってきましたが、10年前に父が引き継ぎ、現在は僕や家族が仲間と共に、整体の稽古場として使い、全生新舎という屋号で音楽室を使った催し物の企画と運営をしてます。
原:晴哉さんは元々、音楽好きだったのですか?
野口:仕事中にも常に音楽が流れ、お弟子さんに「レコード当番」がいたほど日常は音に包まれていました。晴哉にとって音楽は単に趣味や娯楽ではなく、身体や存在の根っこに触れる営みだったと思います。実際、東京大空襲の際にはカザルス(Pablo Casals)のSP盤を抱えて戦火を逃れたという逸話も残っていますから、音楽が彼にとってどれだけ本質的だったかわかります。
原:野口さんはその姿を見ていたのですか?
野口:いえ、僕が3歳の頃に亡くなっているので、全然覚えてないんです。ここの敷地に僕自身住んでなかったので、祖父の記憶というと、この音楽室のイメージしかないんですよ。
原:子供時代に、ここで遊んでいた記憶は?
野口:ありますね。その頃は祖母も、叔父さんも生きていて、従兄弟たちがずっとこの敷地の中で暮らしていたので、しょっちゅう遊びには来ていました。祖母がたまにレコードをかけてくれてましたが、幼少期の僕にとっては音楽を聴く場所というより、広大な遊び場としての印象でした。

原:この音楽室は最近まで長年、使われてなかったそうですね。
野口:そうです。晴哉亡き後、ここを管理していた叔父にオーディオの趣味がなかったので、そのままの状態で残しておいてくれた。叔父が亡くなってから開かずの間のような感じだったんですが、稽古場として使うようになった時に、復旧していかないとまずいなと思ったんです。
原:それはいつ頃のことですか?
野口:7年ぐらい前ですね
原:音楽室を開けて使おうと思ったのは、野口さん自身も音楽好きだったからですよね?
野口:はい、音楽は唯一の趣味です。
原:でも、音楽室で何かをやろうといきなりはならかなったわけですね。
野口:ならなかったですね。音楽を個人的にここで聴くこと、ましてや公開して人を招くなんてことは考えられなかった。迂闊に立ち入れないし、触れられないという感じがしてたんです。何というか、尋常じゃない気迫というか狂気が充満してて。
原:晴哉さんは、音楽室を他の人も招いたリスニングの場にも使っていたのでしょうか?
野口:ごく親しい人以外、ほとんど出入りを許さなかったと聞いています。小説家の安岡章太郎さんが回想録で、ここでレコードを聴かせてもらったが、「一曲全部聞かせてくれない、野口さんはすぐに立ち上がって調整をし始める」とぼやいている(笑)。一方で親しい音楽家を招いてリサイタルを開いたりとかはあったみたいですね。
原:基本的には、ひとりで音楽に向き合う場だったんですね。
野口:ここを公開するために、荷物を整理し始めた時に驚いたのは、膨大な音楽やオーディオに関するメモが残っていたことです。彼は朝9時から夜中まで整体操法やら講習会、執筆と休みなく動き、それが終わってからここで朝方まで音楽と向きあっていた。睡眠は3時間くらいだったと聞きます。その中で、部品の組み合わせを試すプラン、部屋の改造スケッチ、次にやりたい改良案と、大量にメモを残している。だからこの音楽室は、彼にとって唯一ひとりになれる場所だったと思います。

音楽も整体も「世界と身体を結び直す営み」
原:音楽を聴くことは、晴哉さんがやられていた整体というものと、どういう関わりがあったと思われますか?
野口:全部同じに扱ってたと思うんですよ。というのも、音楽を「聴く」ことと身体に「触れる」ことを、ごく一般的な人間の営みとして考えると、それらの行為って、人間がこの世界に関与していくための、もっとも素朴で原初的な接触のかたちですよね。自分の身体が世界と出会う瞬間がそこにあるので。
そこにはまだ言葉も理屈もなく、ただ感覚が立ち上がって何かがぼやっと共振し始める瞬間がある。その振動がやがて意味や認識へと形をとっていくわけだけど、晴哉はそうした、まだ形になりきってない原初的な揺らぎのなかにこそ、人間存在の深みが宿っているし、生の豊かさがあると見抜いていた。
野口整体の本筋って、身体と向き合う機会を通じて経験が主体となる身体を取り戻していくことにあるんですね。晴哉は「まず初めに動きあり、脱名辞せよ」と言う。ここで言う「動き」は筋肉や関節の運動ではなく、身体が世界に触れたときに自然に立ち上がる共振のようなもの。意志や操作を超えて、出会いによって身体が変容してしまうような出来事としての動きです。腕や関節、気や心といった数々の名称は便宜にすぎず、その手前にあるのはただの「動き」だと。とりわけ意識によらない不随意の動きこそ、人の生の根幹に関わると考えてたんですね。
その動きって個体に備わっていると同時に、世界と触れ合うことで生じるわけです。整体は人に触れるけど、音楽は音を聴くことでそれが生じるでしょ? 別にそれが四季だって物だってよい。春に出会えば春の体になり、筆を持てば背筋が伸びることを経験し、帯の巻き方一つで腰が入る、入らないことを実感する。そうした日々の営みを通じて世界と接触し、共振して変化していく身体っていうのがあるんだと言う。でも出会ってるだけだとアハ体験みたいにしかならないので、そこにほんの少しの工夫をして、深度と密度を持たせることで、経験が主体となる身体を取り戻していくことができる。
その世界線から言うと音楽も整体も、「世界と身体を結び直す営み」だと言えるんです。なので、僕は、晴哉が音楽を聴くという行為の中に整体的な可能性を感じていたと思うし、整体の中に音楽的可能性を見てたんじゃないかなと思いますね。
原:なるほど。概念を言葉で表すこと(名辞)も行っている物書きの自分がいる一方で、この音楽室で開催されているListening Practiceに聴く立場でもレコードをかける立場でも参加してみて、耳だけで聴くのではない、五感に関わってくるものを感じました。ただ、そう言葉にすると、わかりにくい、曖昧なこととしてしか伝わらないかもしれないですね。微妙な感覚としてそうあるという話なんですが。
野口:聴覚だけじゃないんだな、って経験をしますよね。今の風潮って、あらゆるものに名前をつけ、意味を与え、整理し、体系化することで、「わかった気になる」方向へと進んでいくことを正解としますよね。わからなさや曖昧さにとどまることが、どこか怖がられていて、それがきな臭いことのように考えられてしまう。でも本当は、名づけられる前の「よくわからなさ」や、「まだ輪郭の定まらない何か」の中に、より価値があるものが潜んでいるんじゃないかって思う。
よく、野口晴哉はここで音楽療法をしていた、音楽を聴くことが健康法だった、って解釈されることが多いんですね。本人も健康と音楽を結びつけて言葉を残しているので、療法として解釈されるのはしょうがないと思うんです。でも、違うんですよね。彼の言葉だと、ここで音楽を聴くっていうのは「意識できない心を相互に交換してる」んだって言うんです。謎じゃないですか(笑)。でも僕はそれは単に、音楽を通じて自分の身体と世界を出会わせて、結び直す作業をしていたんだろうなって解釈してるんですよ。その試みって、ある種生まれ変わる作業ですから「健康法」と言っても確かに大袈裟じゃない。それくらい「聴く」という行為は彼にとって本質的だったと思う。
原:確かに、音楽療法と言ってしまうと、途端にわかりやすくなりますからね。
野口:対象があるからその対処の方法があると理解するからわかりやすいんだと思いますね。普通、病気がない状態を「健康」って言いますよね。でも、彼は病気をすることは身体にとって変化のチャンスなんだ、それを利用して、もっと丈夫になれるんだ、っていう健康観を持っている。病気や違和感を通じて身体が世界と結び直されるきっかけになる、だから工夫して結び直せと、言うわけです。

「聴く」と「聞く」の境界線を曖昧にする
原:この音楽室で、最初にリスニングのイヴェントをやったときはどんな様子だったのでしょうか?
野口:2023年に野崎和宏さん(DJ Nozaki)が「ここは世界遺産だからしっかり残さないとダメだ」と、公開するか否かでウジウジしていた僕の尻を叩いてくれて開催できたんです。初回は野口晴哉ゆかりの方々はもちろんですけど、オーディオマニアの人たちにとってもここは有名な場所だったので、公開されるとの噂は、一瞬にして広まったようです。
原:有名だったというのは、当時のオーディオ雑誌などでよく紹介されたからですか?
野口:そうだと思います。作家の五味康祐氏が紹介して下さって知った方が多いのではないでしょうか。なので60年代からのオーディオファンは皆知っていたと思います。
ただ音響的にはまだとてもじゃないが胸を張れるほどの質ではなかったです。何しろ主人を失ってからまともに音を出してこなかったわけですから。保管されてたクラシックカーのエンジンがやっとかかった、でもまだ走るかどうかわからない、みたいな。でも音質はともかく、この場を、野口晴哉の生き様全部をひっくるめて大切に考えてくれる人達と縁ができたことが、僕にとっては本当に嬉しかった。
中でも、毎月第一水曜日にここで開催されてるAudio Wednesdayを主宰してる宮﨑勝己さんや、機材のメンテナンスをして下さってる埼玉のテクニカルブレイン黒澤さん、長野の五加音響研究所の五加さん、アクセサリー提供を申し出て下さったアコースティック・リバイブ社の石黒さんなど、皆さん博覧強記のプロフェッショナルで、ここにある機材の底力を最大限に引き出す努力をしてくださってる。それからChee Shimizuさんは僕のやりたいことのよき理解者になってくれている。おこがましい話だけど、彼は僕が日々行っている整体と、同じような取り組みを音楽という分野で取り組んでると思ったんです。
原:野口さんが日々やられている整体と音楽室でやられているリスニングとは、具体的にどのような関係性があるのでしょうか?
野口:人間の日常の営みって、ある程度の深度を持つと、実は全部が共通した試みをし始めると思ってるんです。たとえば、音楽を「聴く」ことと、ただ音を「聞く」ことって、本来は別の行為って考えられるけれど、深度が出るとその関係性の転換をし始めていく。「聴く/聞く」が曖昧になってくるというか。それは「緊張と弛緩」の関係でもいいし、「私とあなた」の関係でも同じ。つまり、深度が出ると関係性の変化が促される。それってある種の非日常を経験することじゃないですか。
Cheeさんと取り組んでるListening Practiceは「Obscure the boundaries between listening and hearing.」、つまり「聴く」と「聞く」の境界線を曖昧にしよう、っていう裏テーマがあるんですね。「聴く/聞く」の関係性を変えて、そのあいだの領域で音楽に浸る。この空間や装置を使っていけば、その営みに深みが出てくると思ってるんです。僕たちはその領域に耳や身体を差し出す価値があると思ってる。
野口整体も同じで、僕らは「私とあなた」の関係、「見る側/見られる側」といった関係性に転換を促し、境界を曖昧にしながら、身体がまとまっていくように仕向けていく作業をします。だから僕も、晴哉と同様に、聴くという行為には整体的な可能性を感じるし、整体のなかにも音楽的な可能性を見出してるんです。
原:例えば、踊らせるDJに対して、リスニング寄りのDJやセレクターが提示するような音楽との接し方が以前より広がっていると感じられます。そこにも「聴く」と「聞く」の曖昧な領域が表れていて、もしかすると野口さんが整体でやられている身体の捉え方と、意識することなく繋がっていっているのかもしれませんね。
野口:一般的な整体って、痛みや不調のある部位を相手にして、対症療法的に体を調整する、ってイメージだと思うんです。でも僕たちがやっているのは、それとは少し違う。相手と同調をはかりながら、出来事としての動きを響き合わせていき、わたしとあなたの関係が無化されていくように仕向けていく。すると、お互いの動きが自然にまとまる方向に向かっていくんです。だから「治す」というより、相互にまとまりを経験する行為に近い。そう考えると世間一般でイメージされる「整体」とは少し違うのかもしれません。
原:それは、晴哉さんがやられていたことでもあるのでしょうか?
野口:ええ、それしかやってなかったと思います。晴哉の後を生きる、私のような平凡な人間が常に整体に携わる上で念頭におかなければならないことは、彼がどのような世界線で整体を行い、人間の生を捉えていたのかを、常に問い続けることだと思ってます。
彼はすごくアンビバレントな存在です。彼ほどの神技を持つ名人は自分の技術をどこかで収めないと、人がかえって自立できず、弱くなるんじゃないかと危惧していた。本当に必要なのは、人間が独り立ちして、自分で元気になっていける方向に仕向けることだと思っていた。だからこそ経験が主体となる身体を取り戻す必要性を説いていたんですね。しかし一方でそれとは違う要求が周りにあるわけです。だから、乖離があったように思う。
そんな中で彼は「息一つ」という言葉を残している。皆さんから見ると施術と見える私たちの整体の風景は、その実、自他の関係を無化し、息一つにすることで、相手と自分がともに整っていく経験をする、いわば稽古のようなものです。私自身、父や叔父の整体を受けながら、この「息一つ」という非日常をずっと経験してきた。あいだの領域で息が感じられる、それは本当に不思議な、静寂で力強い、非日常的な経験なんですよ。それが晴哉の整体で、整体という営みの核心じゃないかと思いますね。

異分野が交差する、新しいリスニングの場へ
原:とても興味深い話です。音楽室の話に戻りますが、Chee Shimizuさんとはどうやって知り合ったのですか?
野口:もともとすごい好きなDJでした。とにかく彼の選曲と世界観がツボだったんです。もう自分でレコードとか買わなくていいかなと思ったくらい。それで彼のお店に行ったり、こちらに遊びに来てくれたりして交流させてもらうようになった。彼と出会ったことがかなりの転機になりました。というのも、そもそも僕はこの音楽室を、単に音楽を聴くためだけの場所にしたいとは思っていなかったんです。もちろんメインは音楽なり貴重な機材だったりするんですけど。それよりも、もっと根源的なものに触れられる場にしたかったんですね。
普通、世の中では、整体は整体、オーディオはオーディオ、レコードはレコードと、それぞれがその領域の中に閉じこもってて、交流がないように見える。それが良いか悪いかは置いといて、僕はその縦軸を貫くような横の視点を大事にしたかったんですね。実際、晴哉の生き様には整体だけでなく、音楽や文学、書や詩などといった多様な文化的要素が含まれている。しかもどれもその領域に閉じこもることなく、同じ視点と強度で貫いている。それは整体と音楽の関係をみれば明らかでしょう。だからこの場所もそういう異分野が交差するような場所にしたかったんだけど、そこをなかなか理解してくれる人がいなかった。Cheeさんは縦軸を貫く横の視点を持ってる方なので、話が早かったんです。
原:野口さんはクラブにもよく行かれてたのですか?
野口:クラブにも、ライブハウスにもコンサートホールにもレイヴにも、色んな場所に行ってましたよ。
原:クラブミュージックと並行して、実験音楽や現代音楽も聴かれていたんですか?
野口:そうです。今も一番好きなのはミュージック・コンクレートで、それこそ原さんたちが紹介していた90年代のシカゴの音楽が衝撃で、あれからどんどん未知な方向に向かってしまったっていう感じですね(笑)。
原:なるほど(笑)。シカゴのポストロックや音響派と言われた音楽ですね。野口さん自身のそういう音楽的な下地もあったからこそ、現在の音楽室があるとわかりました。今まで何回ぐらい、リスニングのイヴェントは開催されたのですか?
野口:2023年は1回だけで、2024年から少しずつ増えて、今年から毎月やるようになったので、15回ぐらいですかね。

原:僕はListening Practiceに参加して、聴取体験にももちろん驚いたのですが、トータルで4、5時間はある割と長いリスニングの時間を、30人くらいの人が耳を傾けて過ごしながら、集中して聴くだけでもない、自然に佇んでいる光景を心地よく感じました。若い方や海外の方も結構いましたね。
野口:予約はInstagramやXで募っているだけなんです。おかげさまで認知され始めているようで、日本だけじゃなく、外国の方も増えてきてます。この前、ベルリンから来たカップルが「ずっと気になってたんです」と言ってて不思議でした。たぶん世界的に活動されているCheeさんのような方々が発信してくれてるからだと思います。本当に音楽が好きで足を運んでくれる人が多い印象で、面白いのは、その聴き方ですね。みんな目を閉じているけど堅苦しく集中しすぎてない。後ろから見てると、みんな浸りながら曖昧になってるなあと、その佇まいがとてもいい風景だなと思いますね。
原:音に浸りつつ、「聴く」と「聞く」が曖昧になっているという感覚はとてもよくわかりました。この音楽室で実際に体験しないとなかなか伝わらないこととは思いますが。
野口:ここには、そういう状態を自然に促してくれる装置や環境があるんですよね。そして何よりも、その状態を作ることを担ってくれるセレクターの皆さんの技術がある。原さんをはじめ、みなさんこの空間に合う音楽をかけてくれますからね。
原:もちろん、ここでかけたらいいだろうなと思ってレコードを選んで持ってくるんですけど、実際にここでかけると、当初自分が意図していたのと違う音、普段聴いているのと違う音が流れて、それは良い装置と環境で聴くことで気がつくというだけではなくて、ここで他の人と一緒に聴くという体験が作用しているように感じました。リスニングが受け身ではなくて、能動的な行為のように思えたのです。
野口:ここにいらっしゃる方がたまにポツリと漏らす言葉が印象的でね。例えば、「聴くって行為は単なる音響情報を受容するだけじゃなく、他者を認め、多様性を認めることなんだ」とか、「みんなの耳が一つになっていきますね」とか。リスニングって行為はここまで深みが出るのかと、毎回驚いてる。
僕自身も過去に印象的な経験をしたことがあります。2005年頃だったと思いますが、高円寺の「円盤」で聴いた、中村としまるさんと杉本拓さんの即興演奏の時でした。電車の音が響いてくる環境のなかで、お二人は消え入るような音を延々と奏でるので、耳を澄まさないと聴き取れないわけです。聴衆全員の耳が極限まで集中していき、その結果、そこにいる人の耳が一つになり、演者と観客という個体がいなくなってしまったかのような静けさが訪れたんです。
集中して聴く場合も、自然に聞こえてくる場合も、音と自分が一体になる瞬間があるというのがその時わかった。「息一つ」と「耳一つ」は同じなんだと。僕はこの音楽室でも、そうした「聴く」と「聞く」の分別がなくなる経験ができればいいと思ってます。
原:それは、聴いても聴かなくてもいいし、聞き流してもいいというブライアン・イーノ(Brian Eno)が提唱したアンビエント的な音楽の在り方を、もっとリスナーの側の体験に引き寄せたような話でもありますね。実は、僕の『アンビエント/ジャズ――マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜』という著書でも、ジャズや即興演奏のプレイヤーとリスナーの関係も含めて、似たようなことを考えながら書いていました。
野口:1980年代に作曲家の近藤譲さんが、ライヒ(Steve Reich)の勧めで自分の楽団「ムジカプラクティカ」を作った際に、それまで作曲家と演奏家の間にはっきり線引きがあったけれど、楽団を持つことで自分も演奏に参加しているように音楽に携われるようになった、即興性が出てきた、と言っていたように思います。面白いと思うのは、それが再生音楽を聴く行為にも、同じことがおこるということですよね。
原:いまリスニングに関心が寄せられているのは、昔から日本にあった、欧米とは異なるリスニングの文化の発展なのかもしれませんね。ジャズ喫茶や名曲喫茶にしても、家電メーカーが量産したステレオセットが居間に置いてあった暮らしにしても、日本ならではのもので、この音楽室はその象徴でもあり、これからの新しいリスニングの場にも感じるんです。
野口:そう言っていただけると光栄です。ここを訪れる方々が「ここは文化遺産だから残さないといけない」と言ってくださるのが本当にありがたい。願わくば、この音楽室をきっかけに、野口晴哉のことや、私たち家族が受け継いできた野口整体の歩みを、文化的な価値として、同時に感じ取っていただけたら嬉しいです。その価値が、これから先の時代へと受け継がれ、広がっていくことを願っています。




使用機材
■Speakers:Siemens Eurodyn, Western Electric 594A, JBL HL90, Westrex T510A, Front Short Horn
■Analog player: Garrard301
■Power amp: McIntosh – MC275
■Pre-main amp: Marantz 7
全生新舎
東京都狛江市にある野口晴哉記念音楽室を拠点に、2023年から「生」を切り口とした人間の営みや文化を横断的に見つめ直す場を運営。多様な文化的価値の交差点を作り、新たな視点を育んでいる。2025年11月より、隣接する和室に、本と珈琲と対談の場、「坐坐奔奔」が開業予定。
Words & Edit:原 雅明 / Masaaki Hara
Edit:May Mochizuki
Photos:Mitsuru Nishimura