昭和時代、日本独自のポピュラーミュージックとして数多くの名曲を生んだ「歌謡曲」。その魅力をひも解く本企画では、アーカイヴァーの鈴木啓之さんにご案内いただき、世代を超えて愛され続ける名曲をその背景とともに紹介していきます。

今回とり上げるのは、三波春夫の「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」。1960年代の日本を代表するこの2曲は、東京オリンピックと大阪万博という国を挙げた大イベントとともに時代を彩りました。

令和と昭和、東京五輪と大阪万博

今秋、大阪・関西万博こと2025年日本国際博覧会が盛況の内に幕を閉じた。当初はあまりよい評判が聞こえてこなかったミャクミャクもいつの間にか人気キャラクターとなり、グッズも爆売れとなっていた。世界158ヵ国が参加し、半年間の一般入場者数も2,500万人を超えた博覧会。賛否両論はあるにせよ、国を挙げての祭りはやはりいいものだと実感させられた。

万博といえば関連する歌もつきもの。今回のオフィシャルテーマソングはコブクロが歌った「この地球(ほし)の続きを」だった。初回限定盤のCDジャケットのデザインにはミャクミャクがしっかりと描かれている。大阪に拠点を置くアイドル、NMB48もかつての万博ソングをフィーチャーした「繋ぎ歌~世界の国からこんにちは~」を昨年リリース。半世紀前のお馴染みのメロディーが再び聴こえてきたのが嬉しかった。

「世界の国からこんにちは」は、1970年に大阪・千里丘陵で開催された日本万国博覧会(EXPO’70)の公式テーマソングとして、三波春夫をはじめ多くの歌手によって歌われた。「人類の進歩と調和」というテーマからも窺えるように、誰もが未来に希望を託していた時代。高度経済成長時代のラストを飾るような一大イベントに相応しいお祭りソングは、岡本太郎がデザインした太陽の塔とともにEXPO’70のシンボルだった。「世界の国からこんにちは」は弘田三枝子、坂本九、吉永小百合らも歌ってレコード発売されたが、やはり三波春夫のイメージが断然強い。国民的歌手と呼ばれ、その歌姿は外国の切手にデザインされたほど。

当時は一般的な ”競作曲” だった

そこに至るまでには、EXPO’70より6年前、戦後日本の転換点となったオリンピック東京大会の存在がなんといっても大きい。1964年に開催された最初の東京オリンピックのテーマソング「東京五輪音頭」は作曲は古賀政男、作詞は公募され、劇作家の宮田隆の詞が採用される。

同曲は競作曲*だったことから、各レコード会社のトップスターによって歌われた。コロムビアは北島三郎と畠山みどり、ビクターは橋幸夫、キングは三橋美智也、ポリドールは大木伸夫と司富子、東芝は坂本九という布陣だったが、最もヒットしたのはテイチクの三波春夫盤だった。

*競作曲:同じ歌詞やタイトルを使って、複数のレコード会社がそれぞれのバージョンを出すこと。どちらがヒットするか “競う” ような形になることから、「競作曲」と呼ばれている。

東京五輪音頭 三波春夫
東京五輪音頭 坂本九
東京五輪音頭 北島三郎 畠山みどり

1963年6月に楽曲が発表された際に歌唱したのは三橋美智也で、古賀も三橋が歌うことを想定して作曲したそう。しかしながら三波のテイチク盤がダントツのヒットでミリオンセラーとなったのは、三波自身が戦後復興を世界に知らしめる一大イベントに並々ならぬ想いを込めて歌ったことに他ならないだろう。その結果、 “音頭の三波春夫” を決定づける一曲となったのだ。

東京五輪音頭 三橋美智也

浪曲師の南篠文若時代を経て、歌謡曲歌手となった三波春夫は、「チャンチキおけさ」「大利根無情」などの大衆的な歌謡曲をヒットさせる一方で、「俵星玄蕃」や「赤垣源蔵」などに代表される長編歌謡浪曲でも独自の世界を展開する、正に “歌藝” の人であった。そんな中で発表された「東京五輪音頭」は時代の波に乗り、オリンピックに先立った1963年の『第14回NHK紅白歌合戦』のエンディングでは全員で歌唱された。通常は「蛍の光」で幕となるところをこの時だけの特例。ちなみにオリンピック終了後の翌年の紅白では、三波は「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を披露して大トリを飾っている。

「東京五輪音頭」は、その後に続く各社競作の歌謡曲に先鞭をつける形となった点においても重要な作品である。それまでにも似たようなケースはあったが、既存のレコード会社すべてが足並み揃えて発売することは珍しかった。それも東京オリンピックが当時の日本にとっていかに大きな催しであったかが窺われる。

レコード以外にも、藤山一郎や菅原洋一が歌ったフォノシートが存在する。オリンピック開催の1ヶ月前には日活で同名の歌謡映画が製作され、三波も寿司屋の主人役で出演した。主演は山内賢と十朱幸代であった。映画といえば、東宝『日本一のホラ吹き男』でオリンピック選手を目指していた役どころの植木等が冒頭でこの曲を激しく躍り歌うシーンが印象深い。

オリンピックといえば、1972年の札幌オリンピックの際にも「虹と雪のバラード」という名曲が生まれたのは忘れがたい。「東京五輪音頭」の例に倣い、この時もトワ・エ・モワを筆頭に、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ピンキーとキラーズらの競作となった。80年代にも「秋冬」や「大東京音頭」「男と女のラブゲーム」など演歌やムード歌謡を中心に競作ソングは数あれど、「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」はやはり特別な存在。その両方を歌ったのは国民的歌手の三波春夫と坂本九だけである。

東京五輪音頭 三波春夫

鈴木啓之

アーカイヴァー。テレビ番組制作会社勤務、中古レコード店経営を経て、ライター及びプロデュース業。昭和の音楽、テレビ、映画を主に、雑誌への寄稿、CDやDVDの企画・監修を手がける。著書に『東京レコード散歩』『昭和歌謡レコード大全』『王様のレコード』ほか共著多数。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』、MUSIC BIRD『ゴールデン歌謡アーカイヴ』、YouTube『ミュージックガーデンチャンネル』に出演中。

Words:Hiroyuki Suzuki

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