日本におけるボサノヴァの第一人者、小野リサ。6年半ぶりとなった最新作『Sue Ann』は、ボサノヴァの歴史を作り上げ、ブラジル音楽史を代表する偉人であるアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)へオマージュを捧げた作品だ。
ピアニストの林正樹とのデュエットで、穏やかなアレンジが特徴となった本作。ゲストには御年93歳のサックスプレイヤーであり、日本にボサノヴァおよびブラジル音楽を紹介した功労者としても知られるジャズミュージシャンの渡辺貞夫が参加。さらには村上春樹がCD/LPのライナーノーツに寄稿するという、豪華なプロジェクトとなった。
今回は小野リサとアントニオ・カルロス・ジョビンの関係を振り返りつつ、そのキャリアを辿る特別なインタビューをお届けする。小野リサが見つめたジョビン、そして日本とボサノヴァの関係。今なお探求を続けるアーティストであり、日伯の音楽史の証人である小野リサの言葉に耳をかたむけてみよう。
原体験としてのブラジル音楽とジョビン
小野さんが最初に「アントニオ・カルロス・ジョビン」という名前を認識したのはいつ頃ですか?
10歳で日本に帰ってきてからです。それまではブラジルの実家のラジオから流れていたMPB*やドラマのテーマ曲を聴いていました。1965年ごろ、シコ・ブアルキ(Chico Buarque)やパウリーニョ・ダ・ヴィオラ(Paulinho da Viola)の曲が流行ってた記憶があります。思えば、その中にもジョビンの曲はあったと思うのですが、当時はそこまで意識していませんでした。
*MPB:ムジカ・ポプラール・ブラジレイラの略。ブラジルの大衆的なポップスであり、1960年代中盤より現在に至るまで親しまれている。
その後、ブラジルから日本へと戻り、ジョビンの曲をはじめとしたボサノヴァに親しまれるようになると。
ギターを弾いているうちにジョアン・ジルベルト(João Gilberto)が好きになりました。ただ、父はバーデン・パウエル(Baden Powell)のマネジメントをしていたこともあって、家ではMPBばかり流れていたんです。帰国後に父が開いたお店も「飲んで食べて踊ろう」というコンセプトで、お客さんが踊ってる間は音を止めず、ノンストップでサンバを演奏するというステージ構成でした。
今も営業している四谷の「サッシペレレ」ですね。
はい、当時はブラジル大使館の方や商社で南米に渡っていたお客さんが懐かしむためによくいらしてました。サッシペレレのオープニングではチック・コリア(Chick Corea)の『Return To Forever』のツアーで来日していたフローラ・プリム(Flora Purim)とアイアート・モレイラ(Airto Moreira)が演奏してくれました。
だけど、私自身は声を張って歌うのがあまり得意ではなくて(笑)。15〜6歳でお店のステージで歌うようになりましたが、楽器の音が大きいので……ジョアン・ジルベルトのスタイルを真似するようになりました。ひとりでギターを持って弾き語るジョアンのように私も「Samba de Uma Nota Só」や「So Danco Samba」を歌っていました。
そこでジョビンの歌を覚えたんですね。
そうです。ボサノヴァ以前のブラジル音楽はかしこまった言葉で歌われていました。作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライス(Marcus Vinícius da Cruz e Mello Moraes)は外交官として世界中を旅していて、色んな言葉を喋るインテレクチュアルな方でした。それでジョビンのような若者と曲を作る時は、普段の会話で使われるようなフランクな言葉で歌詞を書いたのです。そのような歌詞にも惹かれて私も歌うようになったと、後から気づかされました。
「ブームにならなくてよかった」当時のボサノヴァ受容
10代の中盤からサッシペレレで歌い始め、20代の後半から「小野リサ」としてのアーティスト活動がスタートします。ただ、デビュー前の1986年に小野さんはジョビンとお会いしているんですよね?
ジョビンの初来日で、赤坂のホテルでのディナーショーの楽屋でした。ドラマーのパウロ・ブラガ(Paulo Braga)と知り合いだったので、いちファンとして写真を撮っていただき(笑)。
当時のジョビンはファミリーバンドのバンダ・ノヴァ(Banda Nova)でツアーを回っている時期ですね。その後の1989年には小野さん自身もデビューされます。1stアルバムの『CATUPIRY』は改めて聴くとボサノヴァというよりMPBやサンバ・カンソォン*の影響が色濃く出ていて、「日本の最初のボサノヴァ・シンガー」という異名とは違う印象というか……。
そうそう、全然ボサノヴァではなかった(笑)。誰が名付けたんでしょう?アルバムを録音するためにリオに行って、現地のライブハウスの演者をみて、リズム感のある楽曲の方がお客さんのノリが楽しそうだなって実感しました。それに当時は一日に3回はショーがあったので、演奏を重ねるうちにこちらのテンポも上がっていく。『CATUPIRY』ではその経験をいかして、バイアォン**やショーロ***のようなブラジルの様々なスタイルを日本に紹介しようと思いました。
*サンバ・カンソォン:20世紀初頭に確立された、サンバを基にした歌謡曲の一形式。
**バイアォン:ブラジル北東部にルーツを持つリズム。ルイス・ゴンザーガが20世紀半ばに広く紹介し、後のブラジル音楽に大きな影響を与えた。
***ショーロ:19世紀半ばにリオ・デ・ジャネイロで生まれた、ポルトガルをはじめとしたヨーロッパの歌曲の影響によるアコースティック編成のスタイル。
1989年の日本において、ブラジル音楽やボサノヴァはどの程度ポピュラーだったのでしょうか?
あの頃はワールドミュージックが流行し始めていた時期で、CDショップにはいろいろな国の音楽が並んでいました。ボサノヴァやブラジル音楽はその一例だったと思います。私もCMソングを作詞作曲して歌ったり、15秒や30秒の短いテーマをよく作っていました。それで「ボサノヴァはいつかブームになるよ!」って当時言われていたのですが……なかなかブームにならなくて(笑)。でも、結局それで良かったと思います。
だって、ブームって過ぎ去るじゃないですか? 代わりにボサノヴァは生活に定着して、カフェや家具屋さんで流れるようになった。大事なのは空気感ですよね、それが何より幸せだなって思います。
在りし日のジョビンとの共演
90年代に入り、小野さんは毎年のようにアルバムをリリースされていますね。そして1994年発表の『Esperança』収録の「Estrada Branca」で、遂にジョビンと共演することとなります。
知り合いのマリオ・アジネー(Mario Adnet)さんが「ジョビンと一曲録音してみたらどう?」って提案してくれたのです。本当に演奏することになって、「Estrada Branca」をテープに入れてジョビンにお送りしました。 その後にリハーサルでジョビンの家に招かれたのですが、もう感激でした。ピアノの前でジョビンは楽しそうで、その場で息子に電話したり「パウロも参加しない?」って誘ったり、ダニーロ・カイミ(Danilo Caymmi)に「明日のレコーディングに来てくれない?」と誘ったりしました。フルートとギターとピアノの編成で「Estrada Branca」を録音しました。
先日公開された『エリス&トム』*でも記録されていましたが、レコーディング期間中のジョビンはジョークも交えながら和やかな雰囲気でコミュニケーションを取るようですね。
そうなんです。「Estrada Branca」を録音した時も、最後のフレーズを一緒に歌うパートで何度も「Saudade do Japão(日本が恋しい)」ってわざと間違えて歌ったんです。最後にはちゃんとオリジナルの歌詞を歌ってくれたのですが、実はそのパートが「Vou caminhando com vontade de morrer(死にたい思いと共に道を歩む)」という詩だったんです。私は病状について何も知らなかったのですが、ジョビンはそのレコーディングの後、ニューヨークの病院にて手術をし、とても残念ながら帰らぬ人となりました。
*エリス&トム:『エリス&トム―ボサノヴァ名盤誕生秘話―』。1974年発表のエリス・レジーナとアントニオ・カルロス・ジョビンによる同名のアルバムがレコーディングされる模様を追ったドキュメンタリー映画。2026年3月6日より劇場公開。
ジョビンは1994年の年末に逝去されています。小野さんが「Estrada Branca」を提案し、共に録音したのは偶然だったんですね。
実は「Estrada Branca」とは別にもう一曲候補があって、直前まで悩んでいたのです。ですが、なぜか「Estrada Branca」を選びました。さびしいですね。
その後、1998年発表の『BOSSA CARIOCA』で小野さんはジョビンの息子であるパウロ・ジョビン(Paulo Jobim)と、孫のダニエル・ジョビン(Daniel Jobim)と共演しています。
パウロとはジョビンと録音した時にお会いしました。その後にブラジルのテレビを見ていたらダニエルがピアノを弾いていて「彼もプレイヤーだったんだ」と認識して、現地のディレクターに「ふたりとボサノヴァのアルバムを作りたい」と相談しました。
というのも、それまでジョビンのボサノヴァを歌うアルバムをまだ作っていなかったんです。「日本で最初のボサノヴァ・シンガー」と言われているのに、私はオリジナル曲ばかりを歌っていて、まだジョビン集を作っていなかった。だから改めてボサノヴァとジョビンをフィーチャーしようと考えました。
渡辺貞夫と林正樹を迎えて再びのジョビントリビュート
『BOSSA CARIOCA』以降、小野さんはジャズ・スタンダードやハワイアンなどブラジル以外の国の音楽を積極的に歌うようになります。
『BOSSA CARIOCA』を作り終えた時に、ジョビンのボサノヴァを歌ったことによる達成感を得ることができました。ちょうど10枚目のアルバムでしたし、これからは音楽の旅をして、今まで自分が歌ってない曲やジャンルに飛び込もうと。
何も知らない状態から毎年テーマを決めて、その度にCDショップに行って、シャンソンでもカンツォーネでも、各ジャンルのスタッフの方に「何を聴けばいいですか?」と質問していました。アラブの音楽について尋ねた時は、たまたまそのときタワーレコードの売り場にいたサラーム海上さんに教えてもらいました(笑)。
サラームさんとは面識があったんですか?
いえ、初対面です。「アラブやアフリカに詳しい方はいますか?」と尋ねたらスタッフの方が「サラームさんが今いますよ」って教えてくれて。CDを探している最中に話しかけて「アラブ音楽を教えてください……」と頼みました。
すごい行動力ですね!その音楽の旅からブラジルへと回帰した2007年の『The Music of Antonio Carlos Jobim “IPANEMA”』、こちらはジョビンの生誕80周年を記念したトリビュート作品となっています。
パウロとダニエルと一緒に日比谷野音でジョビンを演奏する企画が立ち上がって、ふたりとジョアン・ジルベルトの元奥さんであるミウシャさんにも参加していただいて、アルバムを作って実際に野音で演奏しました。
その時に感じたのは、ジョビンの家族は音を忠実に守っている、ということです。歌舞伎の世界のように、アントニオ・カルロス・ジョビンという存在を伝統として扱っているんですよね。昔はアメリカからジョビンが録音を終えて帰国してくると、空港に家族みんなで迎えに行って、一曲ずつ解説をしてもらいながら聴いたそうです。だから家族の中でもすごくリスペクトされている、それがプレイにも表れているんだなと思いました。
ジョビンの生誕80周年を記念した『The Music of Antonio Carlos Jobim “IPANEMA”』から約20年、2027年の生誕100周年を祝うアルバムとして最新作『Sue Ann~アントニオ・カルロス・ジョビンへのオマージュ』は企画されました。林正樹さんとのデュエットによる、静かなアレンジが特徴です。
林さんは以前から私のバンドでお世話になっていたのですが、2025年の「築地JAM」で初めてジョビンのデュエットをしました。それがきっかけで、ふたりでジョビンの曲を持ち合って演奏してみて、自分たちのレパートリーを増やしていったんです。例えばタイトル曲の「Sue Ann」は私の提案でインスト曲を入れたかったのでお願いしましたし、林さんからは「Chovendo na Roseira」をリクエストいただきました。
さらに渡辺貞夫さんも参加されています、こちらも2025年の「築地JAM」がきっかけなのでしょうか?
そうなんです。「築地JAM」貞夫さんも出演されていて、その楽屋で久しぶりにお会いしました。それで周りの方から提案していただいたんです。貞夫さんは父と知り合いで、昔から貞夫さんのコンサートに私も行ってましたが、共演するのはとても久しぶりでした。まだ父が生きている頃にサッシ・ペレレで一緒に演奏して以来だたと思います。久しぶりでしたが曲の説明はあまりせず、いざレコーディングが始まると会話をするように演奏できました。
録音したスタジオは音響ハウスで、小野さんも長年使われてきた場所ですね。
そう、パウロやダニエルたちと演奏したのも音響ハウスでした。
同じタイミングで「花は咲く」のポルトガル語バージョンも林さんと共に録音されています。どのような経緯だったのでしょうか?
「花は咲く」を多言語で歌うNHKの企画で、私がポルトガル語で歌うということでお誘いいただきました。歌詞を見た時に、(三浦)マリエさんのポルトガル語の訳詞が素晴らしく、ブラジル人の知り合いも涙するようなものでした。色々な想いのこもった歌ならではの内容というか、本当に綺麗な言葉で。
「花は咲く」は2011年の震災が契機となって生まれた歌ですが、小野さん自身も2010年代からは積極的に日本の歌をアルバムやライブなどで歌うようになります。
音楽の旅の最終地点は日本の歌だと決めていました。それまで日本語では歌ってなかったのですが、ユーミン(松任谷由実)さんの「あの日に帰りたい」という曲のコラボにお誘いいただいたり、井上陽水さんの「いっそ セレナーデ」を歌う機会をいただいたり、いろいろなきっかけがあって。それで震災の後に、私のことを支えてくださったみなさんへの贈り物と思って、日本の歌を歌うことにしました。
ジョビン、そしてブラジル音楽に息づく美学
こうして長い音楽の旅を振り返る中で、小野さんのキャリアの要所にはいつもジョビンの歌があることに気付かされました。旅の始まりは『BOSSA CARIOCA』でしたし、再びブラジル音楽に回帰したのも約20年前のジョビン集でした。『Sue Ann』もその流れに位置付けられる作品になったのではないかと。
「イパネマの娘」など、ジョビンの曲はこれまでに何回歌ったのでしょう(笑)。でも、毎回新鮮な気持ちで歌えるんです。『Sue Ann』でもジョビンの表現したいことを忠実に演奏するというか、クラシックの作曲者が意図した音を想像しながらピアニストが弾くように、ジョビンの顔を浮かべながら丁寧に演奏しました。曲者がどのようにその曲を演奏して欲しいかを感じ取るということが大切なことなのではないでしょうか
最後に、小野さんの思う「アントニオ・カルロス・ジョビンらしさ」とはなんですか?
うーん、それが……「丁寧」とは真逆なのかも。自然に何も考えずに感覚で演奏する、無の境地なのかもしれない(笑)。野音でダニエルがジョビンの曲を軽快にピアノで弾いているのを見て、私の知り合いのピアニストが「こういう弾き方でいいんだ」って言っていたのが印象的でした。
ジョビンらしいサウンドは丁寧なだけではないと。
例えばアメリカ車の面白さはある意味大雑把なところで、それがスパッとした味になっている。そういう感性の違いがジョビンには表れているだと思います。サッカーを見ていても、ブラジルの選手はボールの取り方がアーティスティックで、カッコよく生き抜くための美しさに溢れていると思えて、私はそこに惹かれます。しかしながら、最近日本はブラジルにサッカーで勝ってますけど……。
(笑)。
日本人は丁寧な美しさを追求しますよね。その感性の違いはジョビンの曲を演奏していても改めて感じます。
つまり、ワイルドなブラジルの側面を日本および小野さんなりの丁寧な仕事で演出したのが『Sue Ann』なのではないかと……。
フフッ、そうしておきましょう(笑)。
小野リサ
ブラジル・サンパウロ生まれ。10歳までの幼少時代をブラジルで過ごし、15歳からギターを弾きながら歌い始める。 1989年デビュー。ナチュラルな歌声、リズミカルなギター、チャーミングな笑顔で瞬く間にボサノヴァ日本中に広める。
ボサノヴァの神様 アントニオ・カルロス・ジョビンや、ジャズ・サンバの巨匠 ジョアン・ドナートら著名なアーティストとの共演や、ニューヨークやブラジル、アジア各国での公演も積極的に行っており、海外においても高い評価を得ている。1999年アルバム「ドリーム」が20万枚を越えるヒットを記録するなど、これまでに日本ゴールドディスク大賞「ジャズ部門」を4度受賞。2013年にはブラジル政府よりリオ・ブランコ国家勲章を授与される等、日本におけるボサノヴァの第一人者としてその地位を不動のものとしている。
Photos:Cosmo Yamaguchi
Words:Ikkei Kazama
Edit:Kunihiro Miki