一見すると木のオブジェだが、これは木材で造られたサウンドシステムだ。 バイオリンなどの弦楽器に共通する原始的なものをベースにしており、板状の木はレゾネーター(共振器)の役割を果たしている。 (トランスデューサーには電気部品を使い、PCやオーディオに繋ぐ)。

枚数を増やしていけばコンサートも可能だという。 スライスされた木の板は、音を共鳴させるのにとても適したマテリアルで、クリアなサウンドを奏でる。

高さ1.5メートルほど。 廃木材をスライスし整えた状態にしている。
高さ1.5メートルほど。 廃木材をスライスし整えた状態にしている。

「音を聴いているとエナジーを感じる。 音を流せば、廃棄された木に命が宿ったように生き生きしはじめる」と話すのは作曲家・音楽学者Giorgio Magnanensi(ジョルジオ・マグナンシ)。

8年前から製作を始め、これまでに50〜60体のオリジナルの木製サウンドシステムをつくってきた。 彼に言わせると「品種によって、奏でられる音は違いますよ」。 例えば、落葉中高木のカエデ科の木と常緑針葉樹のレッドシダーでは、逆の音がするという。 Giogio Magnanensiに、木と音についてを教えてもらう。

スピーカーとGiorgio(画像が粗さから察するに、ちょっと古い写真なのでしょう)。
スピーカーとGiorgio(画像が粗さから察するに、ちょっと古い写真なのでしょう)。

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スピーカーに木製を使うのではなく、木材を起点にサウンドシステムをつくる。 廃木材を利用している点でも新しいですね。

Giorgio Magnanensi:この木製のスピーカーを思い至ったのは、8年前ほどでしょうかね。 インスタレーション用の木を探していたところ、近所の木材加工工場で大量廃棄されている木材を見つけました。 廃棄したものは使っていいというので、ちょっと実験をはじめてみたんですよ。 レッドシダー、イエローシダー、シトカスプルースにメープル(カエデ)などいろいろありまして、レゾネーターとして使ってみました。 どの板も異なり素晴らしい音を鳴らすことができるので、本格的に取り組んでみようと。

はじめたのは、8年ほど前でしたか。

Giorgio Magnanensi:そうですね、ですが、それよりずっと前からこれに繋がる着想がありました。 David Tudor(デイヴィッド・チューダー)を知っていますか? ピアニストですが音の実験を続けた現代音楽家です。 彼のおこなった実験的なプロジェクトのひとつに「Rainforest Proejct」というのがありまして、スピーカーを用いずにさまざまなマテリアル—木の破片、工場で廃棄された鉄銅、ゴミ箱などとにかく様々—をレゾネーター/変換器にして音をだす取り組みです。

Giorgio Magnanensi:さまざまな木の板を目にした時に、これらで音をだしてみるのも面白い、と。 言うなればこのRainforestを木材でやってみた、というところでしょうか。

なるほど。 音をだす、となると、どうしても市販のスピーカーを想像しますが、木の板で音が聴こえるというのは、多くの人にとって発見でもあります。

Giorgio Magnanensi:ふむ、そうなのです。 じつは一つあたり100ドルくらいで仕上がりますから「良質な音を聴くのにはお金をかければいい、というわけではない」ということも、示したかったことのひとつなのです。 自分でレゾネーターを組み立てることもできるのですから。 それも、鳴る音の具合や音色など、“自分好み”を選びながらね。

鳴る音の具合や音色など、“自分好み”を選ぶ

音にこだわるとは、買うだけでなく自分でつくることでもある。

Giorgio Magnanensi:木は音を歪めずに、とてもクリアに奏でるんですよ。 透明感がある、といいましょうか。 逆に金属の場合は、多くの奇妙な周波数によってきらめくような音になるんです。

お金をたくさん持っていなくとも、自分がクリエイティブになることで、いい音を聴ける。 特段のステートメントではないですが、現代に捨てられているものは美しいものが多くあります。 それらを使ってみないのか、とね。

“美しい廃棄品”の一つが、木片なのですね。 現代に廃棄されるものには、生産性における非合理さだけで判断され、利用用途があるのに捨てられているものも少なくないですよね。

Giorgio Magnanensi:それらに別の目的を与えればいいだけのことなんです。 ちなみに、よく聞かれるのですが私はこれらのサウンドシステムは売ってはいません。 ビジネスをしたいわけではないので。 代わりに、作り方を共有しようとワークショップを行っています。 とびきり難しい科学を採用しているわけでもないので、誰でもやる気があればつくれます。

よく使う木は?

Giorgio Magnanensi:工場で見つかるものですね。 イエローシダー、レッドシダー、メープル。 それからシトカスプルース。

シトカスプルースはいいレゾネーターになりますよ。 もともと、これらはバイオリンやチェロをつくるトーンウッド(楽器製作に適した木材)としても知られていますね。 私は特別に選り好みしませんので、見つかったものはなんでも使います。

基本的にはなんでも使える、ということでしょうか。

Giorgio Magnanensi:ううんそうですねえ、時々、大きすぎる節目があったり、節目が多すぎるものはうまくいかないこともあります。

木の板は先が丸みを帯びたサーフボードのような形をしていますが、これはこのように削っているのですか?

Giorgio Magnanensi:ええ、角が尖っていると音の伝わりに影響します。 つねに水を入れ続けているプールを想像してください。 四角いものだと、水が溢れるときにムラができますが、丸いプールだときれいに溢れていくでしょう。 なので、どこにも角がないように仕上げます。

インスタレーションのことを考えて、ボトムにくるほうは安定するようにしています。 形にしてもなるべくシンプルにしていますよ。

置き方もいろいろ試すようです。
置き方もいろいろ試すようです。

一つのレゾネーターを仕上げるのにどれくらい時間がかかるものなんでしょう。

Giorgio Magnanensi:木を削ってやすりをかけていく工程に一番時間がかかりますから、木のかたさによります。 木目が細かく密集しているメープルは時間がかかります。 やすりの工程だけで5時間くらいはポンと。 形を仕上げたら少しワックスをかけて。 たくさん塗るのはダメです、音をミュートしてしまうので。 そうしたらトランスデューサー(音の変換器)を取り付けて。

木による音の違いなどは?

Giorgio Magnanensi:たとえば、メープルの木目はとても細やかで密なので、これはピンとはったようなはっきりとした高い音になります。 レッドシダーは、逆に、木目の密度が粗めのために低くスムースな音になるんです。 シトカスプルースはその二つの間くらい。 ただこれらは、全ての周波数を伝えることはできませんから、つまり、全音域を奏でることはできないのです。 オーケストラでいえば中高音域は素晴らしいクオリティの音を奏でますが、かなりの低音域となると、難しかったりします。

それ以外であれば、一般的にはどのジャンルの、どんな楽曲もいけます。 エレクトロニックでも、ノイズでも。 Bruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)でも Madonna(マドンナ)でも。

なるほど。 そして、奏でる音は必ずしも “楽曲” である必要はないのですよね。 森のなかでインスタレーションをしている動画は興味深かったです。

Giorgio Magnanensi:外でやるのはお気に入りなんですよ。 森のなかでサウンドシステムを設置するときこそ、流すのは “音楽” にとらわれる必要はありません。 たとえば、同じ森の環境下で録った音源を流す、とか。 それはまさに「その環境の音を増幅して奏でている」ということになりますでしょう。 それも木がレゾネーターですよ。 なんとも興味深い体験だと思いませんか。

木から、森の音を伝える。 面白いですね。

Giorgio Magnanensi:僕はロマンチストではないので特別に美化したいわけではありませんが、このサウンドシステムには、ただクオリティがよいだけでなく、生命や愛があると思います。 この森のインスタレーションに立ちあった人は、みな一様に同じ感想をもちます。 驚き、そしてサウンドシステムに対して、愛おしいなどの感情を抱くようです。 動画だけではこれがちゃんと伝わらないので、残念です。

音を聴くといえば、自然と電気機器を想像しますが、木から聴こえる。 人が木や森に親しみを感じるようなものなんでしょうね。 森の音で、特にお気に入りの音は?

Giorgio Magnanensi:葉が風に揺れたりこする音、なびく音、虫たちがかさかさ、かりかりいう音。 なにかが森を踏んでいく音。

森で森の音を聴く。 これは「いままで知っていた場所」の認識を変えることにも繋がると思います。 多くの人が「森」というものを知っているでしょう。 そこにある音を、これまでにない方法で耳にする、体験する。 それは、世界における“あること”への認識を、もう一度別の角度から知るようなものであるとも思います。

森で森の音を聴く

確かにそうですね。 そしてそれは森以外のあらゆる“場所”にいえることです。

Giorgio Magnanensi:ところで、もちろん家のなかにこの木製サウンドシステムをおいて音楽を聴くこともできますよ。 2枚以上を置くといいですね、スピーカーも左右に置いて聴くでしょう。 ちなみに僕の息子は、エレクトロニックのDJの楽曲をよく聴いています。 電子的な音楽を、オーガニックな木の板から聴く。 これもまた面白い点であると考えます。 激しい電子音楽も少し柔らかい聴こえになります。 シャープネスは変わらないのですが、音の特徴がやや変わる。 激しいノイズものを聴いてみるのも面白いです。

枚数は8枚以上になると、聴くというよりは没入する音体験ができるので尚よしです。

スピーカーと違ってボックス型でなく、かつ裏表もない木製のレゾネーターは、枚数を増やしやすい。 これは木の種類を混ぜてもいけるのですよね?

Giorgio Magnanensi:板を増やすことで、一度にコラボレーションできるアーティストも増やすことができますね。 種類も混ぜてよいです。 16枚を使ってインスタレーションをしましたが、レッドシダー10枚、メープル6枚の組み合わせでした。

多い方がよいのですか。

Giorgio Magnanensi:設置する空間、板同士の距離などにもよります。 また、この8枚、16枚で聴く、というのは「音」への考えを拡張するものだと思っています。 ヘッドホンやスピーカーでイメージを固定しがちですが、そもそも左右から聴くものではない。

ちょうど、彫刻を眺めるようなものかと思います。 当たり前のように、一つのアングルから見るのではなくあらゆる角度から眺め、確かめ、見え方の変化を楽しむでしょう。 音だって本来そうなのです。 一つの場所に座って、あるいは立ち止まって聴くのではない。 “一番聴こえのいい一点” ではなくて、歩き回って様々に変化する音を楽しむのです。

“一番聴こえのいい一点” ではなくて、歩き回って様々に変化する音を楽しむ

先ほど言っていた、 “知っていた場所の認識を変える” という点に通ずると感じます。 音は聴くだけでなく、自分で見つけるものでもある。 音はどこにいても存在するものですから、音への認識を新たに持つことは、世界を捉え直すことに通ずるように思います。

Giorgio Magnanensi:ええ。 僕がやっているのは、音楽をどのように聴くかではなくて、音を通して物事を考える、考え方や感じ方を変えていく、ということです。 音というものを通じて、人々の想像、センス、認識に作用していく。

僕の好きな言葉に「美とはオブジェクトではない。 何かをしているプロセスそのものである」というのがあります。 音を通して世界の捉え方を発見する、そしてそれらを誰かと共有し、相互に作用しあい、構築する。 そこに美しさは宿っているのだと信じています。 試して、やっていることに意味がある。 それが、世界からみたらとても小さなことだとしても、です。

Giorgio Magnanensi

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All images:Giorgio Magnanensi
Words:HEAPS