現在、秋田県仙北市の地域おこし協力隊として従事し、田沢湖近くで暮らすアーティストのstarRo(溝口真矢)氏による連載第三回。あまねくストレスの種と考えられそうないくつかの普遍的なテーマをお題に、starRo氏の現在の暮らしやバックグラウンド、追憶を交えながら「ウェルネス」の本質を考える、担当編集者との往復書簡を展開する。癒しと平穏をもたらしてくれるのは徹頭徹尾、(音などが作り出す場を含む)環境と実のあるリアルな言葉であるという仮説の元で。第三回目のテーマは「欲望」。

Theme.03:欲望
「欲」とどう向き合い、付き合うか。

Question:
「同情に富んだ人間に、したがって公正で人間愛に富んだ人間につくりかえることができるであろうか。ー絶対にできない」

ーアルトゥル・ショーペンハウアー

19世紀、ドイツの哲学者で人間の「欲」「倫理」「道徳」について研究したアルトゥル・ショーペンハウアーは、人は常に他人との利害関係を前提としながら生きていると言いました。意志は各個人がもっているようで、実際はそうではなく、虚栄心に振り回されてしまっている、とも。故に、満足に至ることはなく、いつも物足りなさを感じ、それによる苦悩を(微妙であったとしても)多くの人は抱えてしまっている。

上記の通り、虚栄心≒エゴイズムや享楽を完全に取り払い、道徳心のみで生きることはほぼ確実に無理ではあると実感しているけれども、止揚(目の前の出来事をその場で否定したり、はたまた全肯定するのではなく、考え、折衷案を見出したりすること)や諦念(あきらめ)によって、意志を無化することはできると、ショーペンハウアーは主張したと言われています。

「欲」から解放されたら、どれだけ気が楽だろうか、とたまに思ってしまいますが、その一時の無化の手立てが音楽が鳴る、またその逆にロードノイズすら鳴らない自然環境に身を委ねることのような気がしています(音楽好きにとっては)。

先日、starRoさんにお話を聞いた際、秋田では「自分が音楽を作っている人間だとは言わず、無理に音楽を作ろうともしてない」ともおっしゃっていました。そのことを振り返り、たった「一時」ではなく、日々の生活の中で普通に「身を委ねられる」環境の選択をしたんだな、と思いました。

客観的に見ると、安寧の「無化」状態にあるように映るstarRoさんには「欲」ってあるんでしょうか? (ないわけがないとも思うのですが)もしあるとしたら、「欲」とどう向き合い、付き合っているんでしょうか。

Answer from starRo:
「より楽しみの可能性の視野が広い状態、「何をしてても楽しい」状態とは、食わず嫌いなものを減らしていくことでもあるような気がします」

もちろん僕も欲は常にわきます(笑)。
でも、昔に比べると、欲がわいてもその欲の対象に依存しなくなったように思います。
人が欲を問題にする時、その大抵は、例えば甘いものを沢山食べるとか、ある特定の条件に自分の幸福感を満たす方法を限定してしまう場合のような気がします。
でも、その欲の対象のほとんどは、自分が生きられるという根本的な幸福、そしてそれに必要なものとは関係がなく、本来は他の条件で代替できるものです。

例えばひとりでカフェに行って、途中で携帯の電池が切れてしまった時、何もすることがなくてソワソワしてしまうなんてことは、自分も含めて多くの人が経験していると思いますが、携帯を使うことを諦めた途端、道を歩く人を人間ウォッチングしたり、コーヒーの味を奥深くまで探りに行ったり、考え事にふけったり、ナプキンで折り紙したり、できることの可能性は元々無限大に広がっていたことに気づきます。
そして常に無限大に展開する楽しみの選択肢は、その広さを認識すればするほど、特定の欲にとらわれなくなる気がします

では、なぜ無限大の可能性にオープンでい続けられないのかといえば、そうさせないブロックがわたしたちにあるからだと思います。そのブロックとは、「欲しくない」と決めつけてしまっている類のものです。
わたしたちは物質的に豊かな時代に生まれ育って、好き嫌いの選択を比較的自由にできる環境で生きているので、一度でも嫌だと感じたものはそれ以上深堀りせず、その後ずっと嫌だという認識のまま避けることになります。
そういったプチ食わず嫌いのものが日々積み重なり、それを連想させるようなものを含めて、避けたい対象がどんどん拡大していくにつれて、楽しめる可能性の方も視界に入らなくなるものですよね。

そのことを前提にすると、より楽しみの可能性の視野が広い状態、「何をしてても楽しい」状態とは、食わず嫌いなものを減らしていくことでもあるような気がします。

(コールドトレーニング)は自分にとっては「谷」を積極的に受け入れるエクササイズ。

言葉遊びですけど、欲って、谷が欠けているって書くじゃないですか。
谷を知らない人は、山のような高い部分しか見えないんです。
谷を知って、それを腑に落とした人は、谷底から上は全て可能性の領域になります。よっぽど嫌な思いをするようなトリガーがない限りは、谷底から上、つまり日常の些細なことも楽しいという状態になります

コールドトレーニングは自分にとっては「谷」を積極的に受け入れるエクササイズ。

僕は一昨年からコールドトレーニングというのをやってまして、毎朝氷水に入ったり、沢に入ったり、冬の田沢湖に入ったりしています。肌が寒さに直接接触することで、人間に元々備わっている体温調節機能が体内温度をあげてくれる原理を利用して新陳代謝をあげたり、免疫力が上がったり、メンタルがリセットされるというような効果が得られる、ヨーロッパ発の健康法なんですが、これは自分にとっては「谷」を積極的に受け入れるエクササイズのようなものなんですね。
ほぼ2年やっていても、今でこそ10分間入ったりすることはリラックスしてできるんですが、いまだに毎回最初の一瞬は水の冷たさに体がこわばります。でも、一瞬で慣れて体内が勝手に温まってくるとわかっているので、積極的に不快感が受け入れられるし、そこが一日の中の「谷」になって、それ以降の一日は全てが「better」になるような感覚になります
また、寒さに強くなったことで、寒さに対する消極的なイメージが払拭され、一年で言えば冬、場所で言えば寒い場所が突如自分の世界のポテンシャルに入ってきました。それで、今たどり着いているのがここ、秋田県仙北市にある田沢湖というところです。

もちろんコールドトレーニングを誰にでも勧めるわけではありません。谷を積極的に取り入れる方法はいくらでもあると思うので。
ジムに行って身体に負荷をかけるというのは、その典型的な活動だと思うし、森でキャンプして普段の快適さから離れる体験をすることもそのひとつです。

「谷」は空間的に捉えたら、下の方になるので、マイナスなイメージがつきまといがちです。でも自然にある谷には、山の上だけ目指していたら気づかない役割と大地の神秘を有しています。それと同じように、日常生活の中での谷も、普段無意識に避けている状況の中にしか呼び起こされない自分の潜在能力が眠っていると思えば、谷から先は、自分の外側に展開される現実世界も上も下も関係なく全てがポテンシャルになるし、自分自身も眠っていた潜在能力が発動した状態で、感性がさらに鋭くなり、小さなディテールでも興味が湧く。
そのような状態の中では、今まで「欲」と捉えていたものも、無限大にある選択肢のひとつでしかない。
僕も今の生活を通してそのような境地に至ることを願っています。

starRo

溝口真矢

starRo(溝口真矢)

神奈川県横浜市出身のアーティストでありDJ。 大学卒業後、テック企業に勤め、31歳の時にLAに移住。 SoundCloud黎明期に音楽制作活動を本格化させ、アップしたトラックが注目される。 2013年、Ta-Ku(ター・クー)やLAKIM(ラキム)、Tom Misch(トム・ミッシュ)などがリリースしたこともあるレーベル、Soulectionに加入し、2016年にはThe Silver Lake Chorus(ザ・シルバー・レイク・コーラス)の楽曲「Heavy Star Movin’」のリミックスを手掛け、グラミー賞 最優秀リミックス・レコーディング部門にノミネートされる。 コロナ禍を機に日本に戻り、しばらくは東京やその近郊で暮らしていたが、仙北市にある田沢湖の湖畔でDJをしたのをきっかけに現地の人と繋がり、2023年、地域おこし協力隊(リトリート担当)に任命された。 温泉あがりにアンビエントを流すサウンドバスやフィールドレコーディング体験、音浴とヨガを掛け合わせた企画を立てるなど、仙北市の人びとと深く関わりつつある。

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Text(Answer):starRo(Shinya Mizoguchi)
Edit:Yusuke Osumi(WATARIGARASU)
Top Image:AI