映画を観ていて「怖い」と感じる瞬間は、必ずしも怪異が姿を現したときとは限らない。暗闇の向こうから聞こえる風の音。どこからともなく響く声。あるいは、不自然な静けさ。
ホラー映画では、音が観客の感覚を揺さぶり、「何かがおかしい」という予感を生み出している。では、その恐怖はどのように設計されているのだろうか。
2026年7月3日に公開された映画『氷血』を手がけた内藤瑛亮氏は、『ミスミソウ』や『毒娘』、『ヒグマ!!』など、一貫して恐怖や不穏さを描いてきた気鋭の映画監督。ホラー映画における音の役割や、『氷血』で挑んだ音作りについて話を聞いた。
ホラーは音のアプローチが特殊なジャンル
内藤監督は、ホラー映画を作る上で音はどれほど重要な要素だと考えていますか?
映画そのものが映像と音でできているので、言ってしまえば音は構成要素の半分なんです。だからホラーに限らず、映画にとって音はすごく重要なものだと思っています。
特に映画館という環境は、大音響も出せるし、逆に本当にささやかな音も届けられる。家庭のテレビやスマートフォンでは体験できないような音まで表現できるので、映画館ならではの体験を作る上でも音は欠かせません。
そのなかでもホラーは、「どう音で怖がらせるか」ということが特に顕著に表れるジャンルだと思います。例えば編集段階では、まだ効果音も音楽もついていません。そのため試写で見た人からは「このカットは長すぎるんじゃないか」「なんでこんなに間があるんだろう」と言われることもあります。
でも、その “間” は後から音が入ることを前提にしています。そこに恐怖を予兆させる音が入るからこそ、その後に起きる恐怖シーンが効いてくる。ホラーはそういう意味で、音のアプローチがとても特殊なジャンルだと思います。
音で恐怖を演出する際、監督が特に大切にしていることはありますか。
一番意識しているのは、音で先に説明しすぎないことですね。黒沢清監督がおっしゃっていた話で、すごく印象に残っているものがあります。ホラー映画の名作『悪魔のいけにえ』で、最初に犠牲になった女性が殺人鬼一家の家へ連れ込まれるシーンがあるんです。
通常ならドアが閉まると同時に恐怖を煽る効果音(SE)をつけるのが定番ですが、この作品では、ドアが閉まってから一拍置いて、そのあとに低い音が鳴るんです。
ドアが閉まった瞬間に音が鳴ると、それは「今、怖いことが起きましたよ」という単なる説明になってしまいます。あえて空白の間を作ることで、観客は「え、何が起こったの?」と動揺し、「やばい空間に閉じ込められたってこと?」と不穏な理解を自ら引き出し、恐怖します。恐怖の感情が湧き上がった後に、「そうだよ。恐ろしいことが起きたんだよ」と音が恐怖を増強させます。そういった構成が理想的で、自分も観客の感性を信頼し、「音に語らせすぎない」ということは意識しています。
音作りで参考にしている作品は?
一番勉強になるのは、やっぱりヒッチコックの『鳥』ですね。あの作品って、劇伴が一切ないんです。全部効果音だけで構成されている。今、あそこまでストロングスタイルでホラーをつくっている人はほとんどいないと思います。
さすがに僕も「音楽を一切使わない」という勇気はありません(笑)。でも、効果音だけであれだけ緊張感を生み出しているのは、本当にすごい。芝居や物語そのものの強度があるから成立しているんですけど、効果音のつけ方については、今でも教科書のように参考にしています。
3日間かけて女性の悲鳴を大量に収録
『氷血』では、どんな音をテーマに設計したのでしょうか。
テーマは「女性の声」です。舞台となる土地では多くの女性たちが苦しみながら亡くなっている。その悲劇の積み重ねにより、女性の幽霊が無数に存在しているという設定があるため、映画全体を通して女性の声を響かせたいと思いました。
幽霊の声としてわかりやすく聞こえる場面もありますが、風の音だったり、ドアが閉まる音だったり、南京錠をガチャガチャ鳴らす音だったり。そういう環境音の中にも、ごく小さく女性の声を忍ばせています。
意識して聞かなければ分からないくらいなんですが、「なんとなく誰かの気配がする」と感じてもらえたらいいなと思っています。そのために、悲鳴や呻き声、叫び声だけを3日間かけて録音しています。
僕は作業に集中していたので平気だったんですけど、途中からプロデューサーが「気分が悪くなってきました……」と言い始めたほど(笑)。
声だけのキャストの方をはじめ、加藤千尋さん、佐津川愛美さんなど女性キャストの方にも協力してもらい、さまざまなバリエーションを集めました。加藤さんはホラー好きで、アフレコのときも『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のTシャツを着てくるほどの気合いでしたね。
©2026 映画 「氷血」 製作委員会
アフレコ現場では、どのような演出を?
単純に「悲鳴をください」というわけではなく、例えば「来ちゃダメと思って叫んでください」とか、「やめてという気持ちで叫んでください」とか。ストレートに「やめて!」という声も録っています。
どこでも使えるような汎用的な素材も録りましたが、「ここだけは絶対この感情がほしい」という場面は、かなり具体的に演出しました。終盤では、「もうちょっと謎のリズムで叫んでください」とお願いしたことも(笑)。「ウワァ、ハァ、ウワァ」みたいな、理屈じゃなくて不気味に聞こえる声ですね。そういう細かな素材を大量につくって、場面ごとに組み合わせています。
劇中には、メールの通知音に女性の声を重ねている場面もあります。
あれは編集をしているときの偶然から生まれました。仮編集では、現場で録ったメールの通知音をコピーして繰り返し使っていたんです。編集室で聞いているときには気にならなかったんですが、大きなスクリーンで確認したら、通知音のたびに「ゴニョゴニョ……」と誰かがしゃべっているように聞こえました。たまたま僕の声が入っていたんですね。
同じ語尾だけが何度も繰り返されるので、それがすごく気持ち悪かったんです。「あ、これは面白い」と思って、北山宏光さん演じる稔のことを女性が呼ぶ声として忍ばせようと考えました。
ただ、音を大きくしすぎると芝居に集中できなくなってしまうし、下げすぎると今度は誰にも聞こえない。スタッフに何度も聞いてもらいながら、「10人いた場合、全員が分からなくても、2〜3人くらいには気づいてほしい」というラインを探りました。映画館の音響だからこそ成立する遊びだと思っています。
©2026 映画 「氷血」 製作委員会
そういった繊細な音設計をしつつも、大きな音で驚かせる “ジャンプスケア” も効果的に使われていましたね。
ジャンプスケア自体は好きなんです。ただ、大きな音を鳴らせば怖いというものではないと思っています。大事なのは、「もう来ないだろう」と観客に思わせることなんです。予期しないタイミングでの大きな音は、ある種の不協和音のような心地よさを感じることもあります。
ホラー映画を作る際、あえて避けている音の表現はありますか。
イメージ的な効果音(ME)で安易に不穏さを演出するのではなく、その場に鳴っていてもおかしくない環境音を利用することも大切にしています。今回は、撮影現場近くの湖にいた白鳥の鳴き声を家の中に響かせたり、静寂の中で屋根の雪がドサッと落ちる音を不穏な空気のスイッチにしたりと、リアルな音を使って緊張感をコントロールしました。
その土地に本当に存在している音だけでも、不穏さは十分に作れるし、実際にある音だからこそ、「何かがおかしい」という違和感が生まれることもあります。派手な効果音より、現実の音のほうが怖いこともあるんです。
劇伴は、Jun Futamataさんが担当していますね。どのようなオファーを?
以前『降り積もれ孤独な死よ』というドラマでご一緒したことがあって、そのときに声を楽器のように扱う音楽がすごく印象的だったんです。ホラー作品を手がけたことはなかったんですが、今回は女性の声がテーマだからこそ、ぜひお願いしたいと思いました。
僕が劇伴をオファーする場合、かなり細かくExcelでリストを作成します。音のイメージ、使う場面のタイミング、参考になる曲のプレイリストも作って共有しました。
映画館はもちろん、ヘッドホンでも音を楽しめるように
ご自宅では、どんな環境で映画をご覧になりますか。
子どもがまだ小さいので、寝かしつけたあとにヘッドホンをつけて観ることが多いですね。
映画は劇場では5.1chで制作しますが、そのあと配信用やソフト用に2chの音源も作ります。その作業は音響スタッフにお任せする監督も多いんですが、『氷血』は細かな音の仕掛けが多かったので、今回は2chの制作にも立ち会いました。
昔は「ブラウン管テレビでも聞こえる音」が基準でした。だから低音を削ったり、小さい音を持ち上げたりして、どんな環境でも聞き取れるように作っていたんです。
でも最近は、自宅でサウンドシステムを組んでいる人もいますし、イヤホンやヘッドホンで集中して映画を観る人も増えています。だから全部を平板な音にしてしまうより、「ここは少し小さいまま残そう」、「ここはギリギリまで攻めてみよう」という判断もできるようになってきました。
とはいえ、まずは映画館の高性能な音響設備で音を体験してもらいたいですね。そのための細かいこだわりを散りばめたので、ぜひ大きな劇場で耳を澄ませてみてください。
『氷血』
全国公開中
出演:北山宏光、加藤千尋、山谷碧都、佐津川愛美、福島リラ、渡辺哲、佐野史郎
監督:内藤瑛亮
脚本:片桐絵梨子、内藤瑛亮
配給:ショウゲート
©2026映画「氷血」製作委員会
内藤瑛亮
1982 年、愛知県生まれ。映画美学校フィクションコース 11 期生修了。特別支援学校の教員として働きながら、自主映画を制作する。映画美学校初等科の卒業制作として手掛けた短編『牛乳王子』(’08)が学生残酷映画祭 2009 グランプリ受賞。教員を退職した後、『パズル』(’14)、『ライチ☆光クラブ』(’16)、『ミスミソウ』(’18)、『許された子どもたち』(’20)など罪を犯した少年少女をテーマにした作品を多く手掛ける。2026 年に闇バイトがヒグマに襲われる『ヒグマ!!』が公開され、話題を呼んだ。テレビドラマでは「高嶺のハナさん」(’21)や、WOWOW オリジナルドラマ「DORONJO」(’22)、「降り積もれ孤独な死よ」(’24)などの演出を担当。脚本家として清水崇監督の『ホムンクルス』(’21)や、城定秀夫監督『嗤う蟲』(’25)、ゆりやんレトリバァ監督『禍禍女』(’26)などを手掛けている。
Words&Edit:Kozue Matsuyama