昭和時代、日本独自のポピュラーミュージックとして数多くの名曲を生んだ「歌謡曲」。その魅力をひも解く本企画では、アーカイヴァーの鈴木啓之さんにご案内いただき、世代を超えて愛され続ける名曲をその背景とともに紹介していきます。
今回とり上げるのは、坂本九の「上を向いて歩こう」。ロカビリー期を経てヒットを連ね、「SUKIYAKI」としても知られる代表曲に至るまでの流れ、そしてその後の展開とは?
坂本九と「上を向いて歩こう」誕生までの軌跡をたどる
1941年12月10日、神奈川県・川崎で生まれ育った坂本九は、9番目の子供だったので「九」と名付けられたが、本名は「ひさし」と読む。高校生の頃からエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)に憧れてものまねをするようになり、それが評判となって立川の米軍基地の将校クラブで歌う機会も得た。
バンドボーイ、いわゆるバンドメンバーの世話係的なアシスタントを経て、大学生になっていた1958年5月に 井上ひろしとザ・ドリフターズ に加入してプロデビュー。ヴォーカル兼ギターを担当する。8月26日には『第3回日劇ウエスタンカーニバル』にロカビリー歌手として初出演し、その年の12月には独立した水原弘の後釜として ダニー飯田とパラダイス・キング に加入することとなった。
1959年10月、ビクターから出された「何もいらない俺だけど/題名のない歌だけど」がダニー飯田とパラダイス・キングにとって初のシングル盤となり、坂本はB面でメインヴォーカルを担当している。しかし残念ながらこのシングルはヒットするには至らなかった。
そこで当時はまだ創業されて間もなかった新興の東芝レコードから仕切り直すこととなり、1960年8月に再デビュー盤「悲しき六十才」を発売。これが見事ヒットに至る。坂本のメインボーカルではあったが、レコードの名義はまだダニー飯田とパラダイス・キングだった。
「ステキなタイミング」「カレンダー・ガール」といったカバーヒットが連なり、ロカビリー歌手としてスタートした坂本九は、誰からも愛される親しみやすい笑顔でアメリカンポップスを歌う人気者となっていった。「九ちゃんのズンタタッタ」は「悲しき六十才」で初めて訳詞に挑んだ青島幸男の作詞・作曲による異色作でコミックソング的な色合いが濃かったがこれもヒットした。
そして1961年10月にいよいよ永六輔と中村八大のコンビによるオリジナルヒットの本命曲「上を向いて歩こう」が登場する。
初披露はリリース前の7月21日に大手町・産経ホールで開かれた『第三回中村八大リサイタル』のステージ。そしてNHKの音楽バラエティー番組『夢であいましょう』の8月19日放送回がテレビでの初歌唱となった。10月・11月に同番組内の〈今月のうた〉のコーナーで紹介されたことがヒットの決定打に。大晦日には初出場となった『第12回NHK紅白歌合戦』でも歌唱された。
「SUKIYAKI」として広がった名曲、坂本九が全米1位を獲得するまで
「上を向いて歩こう」はそれだけでは終わらなかった。
翌1962年 には日活で映画化されて3月に公開。 8月にはヨーロッパでの発売が決まり、坂本はデンマーク、ノルウェー、フランスなどを歴訪する。フランスでは「星ふる雨のもとに」、ベルギーでは「忘れえぬ芸者ベイビー」などと原題からかけ離れたタイトルが付けられたが、12月にイギリスでケニー・ボール楽団によるインストのカバーが「SUKIYAKI」のタイトルで発売されて話題になると、翌1963年にはアメリカのCapitol Recordsからも坂本盤が発売。
元のタイトルでは発音しづらかったため、詞の内容には関係のない、海外でも知られていた日本料理の名前をタイトルにしたらしいのだが、おそらく軽い気持ちで名付けられたであろう曲が世界的なヒットにまで至るとは予想していなかったに違いない。プロモーションのために最初にプレスされたものは「SUKIYAKA」表記となっていたが、すぐに「SUKIYAKI」に改められた。
そして1963年 5月11日付のアメリカの音楽チャート誌・Billboard Hot 100に79位で初登場すると、6月15日には遂に1位を獲得、3週に亘って首位をキープすることとなった。
日本生まれの歌謡曲が全米1位になるなど、当時は考えられない大事件であり、大偉業であった。このニュースはもちろん国内でも大きな話題となり、1963年7月1日には「上を向いて歩こう」に “スキヤキ” のタイトルが加えられた新たなジャケットで再リリースされてスタンダード化してゆく。
坂本は同年8月に渡米して『The Steve Allen Show(スティーブ・アレン・ショー)』に出演している。以降も「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」などのヒットを連ね、1964年の第18回オリンピック東京大会の際には「東京五輪音頭」を歌ったり、1970年の日本万国博覧会では吉永小百合とともに万国博委員に起用されて「世界の国からこんにちは」を歌うなど、まさしく日本を代表するスターとして活躍した。
1985年 8月12日、不慮の飛行機事故に巻き込まれ、43歳で天国へと旅立ってしまった坂本九。早すぎる別れを人々は惜しみ悼んだが、「上を向いて歩こう」をはじめ、いずみたくが作曲した「見上げてごらん夜の星を」などに代表される数々のヒット曲はもちろん、多くの主演映画やテレビ番組で見せてくれた人懐っこく優しい笑顔はいつまでも我々の記憶に刻まれている。日本が世界に誇る不世出の歌手、坂本九の歌声は永遠である。
「上を向いて歩こう」は現在に至るまでジャケットデザインやカップリング曲を替えながら何度もシングルリリースされている。ベストカップリング盤では「幸せなら手をたたこう」と一緒に、没後に全集の特典用に作られたシングルでは非売品ながらも、もうひとつの代表作「見上げてごらん夜の星を」とのカップリングが実現した。
海外でも1981年にアメリカのR&Bグループ、テイスト・オブ・ハニー(A Taste of Honey)が英語詞でカバーしてBillboard誌で3位、R&Bチャートで1位を獲得したほか、1995年には4人組R&Bグループ、4.P.M.のカバーがBillboard誌で8位になるなど、世界に知られるヒットとして愛され続けているのだ。
鈴木啓之
アーカイヴァー。テレビ番組制作会社勤務、中古レコード店経営を経て、ライター及びプロデュース業。昭和の音楽、テレビ、映画を主に、雑誌への寄稿、CDやDVDの企画・監修を手がける。著書に『東京レコード散歩』『昭和歌謡レコード大全』『王様のレコード』ほか共著多数。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』、MUSIC BIRD『ゴールデン歌謡アーカイヴ』、YouTube『ミュージックガーデンチャンネル』に出演中。
Words:Hiroyuki Suzuki