旅先で見た景色を写真に収めることはあっても、その場所の音を持ち帰る機会は意外と少ない。風が吹き抜ける音、水の流れる音、鳥たちの声。耳を澄ませば豊かな情報に満ちている自然の風景は、録音することでまた違った表情を見せてくれる。
山を歩きながら音を記録してきた写真家・野川かさねさんと高尾山を訪れ、「音を持ち帰る」フィールドレコーディングの魅力について探った。
写真だけでは持ち帰れないものがある
高尾山の6号路。沢沿いを登るルートでは、水の流れる音が絶えず耳に届く。
「こんにちは」
すれ違う登山客と声をかけ合いながら歩を進めていた野川さんが、ふと足を止めた。
「ここ、録ってみましょうか」
そう言ってカメラに装着したマイクを川の流れに向ける。野川さんにとって、音を録ることは特別なことではない。山を歩きながら、その地の空気や時間を音として残してきた。では、音を持ち帰ることで何が見えてくるのだろうか。
「『音を録ろう』と思って歩いているわけではいないんです。水辺が近くなってきたなとか、自分の中でちょっとした気づきがあったときに立ち止まって録ることが多いです。川の音の場合、ザーッと流れる音が大きく聞こえるけれど、じっと耳を澄ませてみるとポコポコという音も聞こえてきます。すると、川の流れの変化や深さ、岩がある場所で水が回転しているような様子が感じられる。見えない川の下のことまで想像ができて、すごく楽しいんです」
野川さんが山の音を録り始めたのは、写真家として活動を始めて数年が経った頃。目に映る新鮮な驚きをカメラに収めていく中で、「それだけでいいのかな?」とふと疑問が湧いてきたという。
「山のことをちょっとずつ知るにつれ、もっとじっくり、深く撮影したいという気持ちになっていきました。撮影のスタイルを深める意味で、四季を通じて同じ場所に通い続けたり、月に1度必ず行く場所を決めたり、植物図鑑を持って歩いたり、メモを取ってみたり……。さまざまなことを挑戦する中のひとつに、音を録るという行為もありました」
写真家であれば、視覚が優位になるのは当然のことだ。しかし、山をより深く知るために、野川さんはあえて視覚以外の感覚を研ぎ澄ませる方法を模索していた。
「普段からどうしても私は、目に映るものばかり追ってしまっていて。都市部に住んでいるので、人間としてのそもそもの感覚が鈍くなっているような気がしたんです。でも山を歩いていると、今日は風が吹いていて気持ちいいなとか、足が疲れたなとか、目だけじゃなくいろんな感覚を使って歩くことになる。そういう視覚以外の感覚にもっと敏感になれたらと思ったんです」
ただし、山に行ったからといって自動的に感覚が開くわけではない。
「音を録ることは、立ち止まって耳を澄まし、感覚のスイッチを入れる儀式みたいな感じなんです。『今から耳を使います』みたいな。そうすると、普段だったら聞き流してしまう音も聞こえてくるし、自分自身もその場所に入り込んでいける気がするんです」
「あ、鳥が鳴いてる!」
登山中、野川さんのその声で初めて鳥の存在に気づく瞬間が何度もあった。自然の中に身を置いても、ただ歩いているだけでは聞こえないものが確かにある。いったん耳を澄まし始めると、それまでひとつの音の塊にしか聞こえていなかった音が、川の流れ、鳥の声、登山客の声など、少しずつ別々の存在として立ち上がってくる。自然の中は都会よりも静かというイメージがあるが、実際には驚くほどにぎやかで、多くの音に満ちている。
録音すると、風景が立体的になる
音を聞き返してみると、目の前に広がっていた景色が少し違って見えてくる。野川さんは、そのことをこんな言葉で表現した。
「表面的だったものがどんどん立体的になっていくんです」
では、野川さん自身がもっとも心惹かれる音は何なのだろう。返ってきた答えは「風」だった。
「風で葉っぱが揺れてサワサワする音がすごく好きです。風って見えないですよね。だから、見えないものが音で表現されてる状態にものすごく想像力を掻き立てられるんです。自分の中で立体的に浮かび上がっていくのが一番面白い。これほど情報が溢れる場所はないんじゃないかと思います」
3回目の録音は、山頂まで残り1/3付近。川の中を歩く「飛び石」の少し手前のエリアで録音。今回は野川さんが使用したATV-SG1に加え、スマートフォン、さらに本格的な収録環境で使用するX-Yステレオマイクロホン『BP4025』でも録音を行なった。聞こえ方の違いに注目してほしい。
まずはATV-SG1で録音した音。川幅が狭くなり、下流よりも水の音が軽やかに変化。風によって木の葉が擦れる音や、登山客の熊よけの鈴の音なども聞こえる。
同じ場所でスマートフォンで録音した音。
そして最後はX-YステレオマイクロホンのBP4025を三脚でセッティングして録音した音。
写真を撮る行為を深めるために始めた録音だが、実際に変化はあったのだろうか。
「ダイレクトに写真に表れているのかと言われると、自分では判断できないところもあるんですけど。ものを見るときの目線や見方は確実に変わったと思います。今までは『川の水に反射している光が綺麗だな』など、瞬間的な美しさを切り取っていたけれど、『山を登るにつれて川幅が細くなってきたな』、『ザアザアと聞こえていた水の音が上流に行くにつれてトロトロに変化したな』とか、自然の構造を理解して写真を撮るようになりました」
「自然は人間のものじゃない」。そう語る野川さんの言葉には、自然への畏怖とリスペクトがにじむ。
「美しいと思う瞬間的な感情で自然を切り取ることは、自然が本来持っている姿を自分の枠に収めて、小さくしてみなさんにお見せすることのような気がするんです。人間のベクトルで都合のいいように捉えるには、もったいないくらい自然は美しく豊かなもの。自分の枠の外にも、楽しく素晴らしいものはたくさんあります。何度足を運んでも山が好きなのは、未知で溢れているからだと思います」
これまでで一番印象的だった音は、八ヶ岳で録音した雪解け。
「春といっても、山はまだ雪で覆われていて、写真で撮ると真っ白な景色なんです。でも雪解けは確かに始まっていて、耳を澄ませたらコポコポと水が流れる音が聞こえてきました。多分、下に沢があったんでしょうね。その音を録音したときに、春がすぐそこにあることを感じて心が躍りました」
音は目に見えない。しかし、その土地の空気や季節の移ろいを、時に音は写真以上に雄弁に伝えてくれることがある。
今回の高尾山登山で野川さんが使用したのは、オンカメラショットガンマイクロホンのATV-SG1。

ATV-SG1
オンカメラショットガンマイクロホン
「このマイクは軽いので、カメラに装着しても前に傾いたりバランスが悪くなることがなく、普段のカメラの使用感のまま使えました。まったくストレスなく録音できたのはすごいと思います。実は愛用していたICレコーダーが壊れてしまったこともあり、しばらく山で音を録音していなかったんです。今日久しぶりに録音しましたが、やっぱり面白いなって、改めて感じましたね」
高尾山を歩き終えた後も、耳には川のせせらぎや鳥たちの声が残っていた。写真が一瞬を切り取るものだとしたら、音はその場に流れていた時間そのものを持ち帰るものなのかもしれない。旅や散歩に出かけるときは、少しだけ立ち止まって耳を澄ませてほしい。見慣れた風景の中にも、まだ気づいていない音の風景が広がっているはずだから。
野川かさね
1977年生まれ。国際基督教大学卒業、日本大学大学院芸術学研究科修了。山や自然の写真を中心に発表を続ける。最新刊はフォトエッセイ「山の時刻」(小林百合子氏との共著、パイインターナショナル刊)
Words & Edit:Kozue Matsuyama
Photos:Soichi Ishida