癒しの音、そして癒しのリズム。そのいずれをも併せ持つのが北インドの打楽器、タブラだ。長きにわたってインドの家庭で密やかに受け継がれてきた楽器だが、ここ近年で急速に注目を集めている。
現代タブラ音楽の革命家と呼ばれる音楽家Talvin Singhと、タブラが奏でるエナジーを探ってみたい。

リズムパターンは“輪廻”。インド伝統音楽の核

「シーク教寺院でインド伝統音楽の演奏を目の当たりにしたとき。ミュージシャンたちが纏っているスピリチュアルなオーラに魅了されたよ」

そう回想するのは、Talvin Singhだ。インド伝統楽器タブラとドラムンベースを融合させた、知る人ぞ知るタブラ奏者で、音楽家。1970年、ロンドンのインド系一家のもとに生まれた彼は、幼い頃からインドの伝統音楽に夢中だった。

Talvin Singh
Photo by Inni Singh

16歳でインド北西部に位置するパンジャーブ地方へと渡り、タブラを修得。帰国後はドラムンベースをタブラと融合させるスタイルを確立し、他にもエレクトロやパンクをミックスさせ、Asian Undergroundという新ジャンルをも作った。これまでに、日本人音楽家の坂本龍一や英ポストパンク・バンドSiouxsie and the Banshees、アイスランドの歌姫Björk、アイルランドのロックバンド、U2などのアーティストとの共演を果たしてきた。

*ドラムとベースが特徴的な電子音楽のジャンル。

タブラという楽器は、奥が深い。タブラで出せる音は「ボル」と呼ばれ、これを組み合わせることでリズムを作り、リズムパターンを繰り返す。この繰り返しには“輪廻”という意味が込められているといわれる。タブラの音には打楽器特有の躍動感とが込められて、そのエネルギッシュさを増していく。

「インド伝統音楽の核にあるものこそ、”ヒーリング(癒し)だ。エンターテインメントではない。音楽自体が、メンタルヘルスの重要な源になっているのでないか、と考えるようになったんだ」。Talvinもそう話すように、インド伝統音楽はヒーリング効果があるといわれ、ヨガや瞑想、マッサージの際にもよく用いられる。昨今では「インド伝統音楽は統合失調症*患者の認知機能の改善に役立つ」ということが科学的にも証明された。

ポジティブなパワーを持つといわれるインド伝統音楽と、その音楽を作る重要な担い手となる楽器、タブラ。タブラと、そしてドラムンベースが生み出すリズムには、どんなエナジーが宿っているだろう。ロンドンにいるTalvinとビデオを繋ぎ、自身の音楽制作部屋から話を聞いた。

*思考や知覚、感情などがまとまらなくなる精神疾患。現実とのつながりの喪失(精神病)、幻覚、幻聴、妄想、異常な思考や行動、感情表現の減少、意欲の低下、精神機能(認知機能)の低下などが起きる。

タブラとマイク
Photos via Talvin Singh

小さいころから音楽が大好きで、タブラを習う前はキッチンにあるポットなどを叩いて遊んでいたと聞きました。タブラやインド音楽全般に感化されたきっかけは?

ある日、シーク寺院に行ったんだ。そこで目の当たりにしたインド伝統音楽の演奏に度肝を抜かれて。演奏者はこんな感じで(あぐらをかいて)座って、演奏していたんだけど、その様子はまるで穏やかに瞑想をしながら音楽を奏でているといった感じだった。 その演奏者のスピリチュアルな雰囲気やオーラときたら、半端なものではなかった。それからインド音楽に夢中になったよ。

インド伝統音楽特有のスピリチュアルなパワーやエキゾチックな雰囲気はとても独特です。ロンドンにいながらインドの伝統楽器であるタブラを習得するというのはなかなか大変だったのでは?

最初は観察することから始めたんだ。レコードを集めたり、コンサートに足を運んだり。時には、ロンドンを訪れたタブラ演奏者に伝授してもらったこともあった。

そして、16歳になって本格的にタブラを習得しようとインドへと渡った。

最初は“タブラの言葉”を上手く操れなくてね。でも、師匠と出会って、彼がとても上手く教えてくれたおかげで、なんとか無事に習得できた。師匠はがこれまで僕が、ロンドン時代にほぼ独学で習得したタブラの技や感覚を生かした上で、タブラの基礎を叩き込んでくれたんだ。

タブラは非常に難しい楽器であると言われ、タブラの音色とリズムを上手く操れるようになるには10年以上かかると耳にしたことがあります。これって本当?

そうだね。僕たちのあいだではタブラをマスターするには生涯かけても足らないというのが通説だよ。

タブラはシンプルな見た目とは裏腹に、非常に奥が深い楽器。そもそも、インドにルーツがある人にとってタブラはどれくらい身近な楽器なのでしょう。

タブラやシタールといったインドの伝統楽器の知名度は、ここ15年くらいで世界的にぐんと上がったよ。それ以前は、インドの家庭で密やかに受け継がれてきた楽器だった。

親子でタブラ奏者だというケースも多いそうですね。タブラ界の“ピカソ”との呼び声も高いインドのタブラ奏者Alla Rakhaと息子のZakir Hussainなど…。なぜいま、タブラは世界的に知られているのでしょう?

インターネットの普及が理由だと思う。いまは大師匠の貴重な演奏だって、YouTubeで検索すればすぐにアクセスできる。素晴らしいことだと思うよ。そして今、タブラ奏者としての僕の目標は、伝統的なインド音楽にだけ集中するのではなく、革新的な作品を生み出すこと。

Talvin Singh
Photos via Talvin Singh

Talvinさんといえば、エレクトロやドラムンベース、パンクをはじめとした様々なジャンルの音楽をタブラと融合させるというスタイルが特徴です。この斬新な音楽スタイルはどのようにして開拓していったのですか?

エレクトロに興味を持ち始めたのは父の影響が強い。父はコンピューターエンジニアで、音楽系の電子機器にとても詳しかった。幼いころから僕の周りには良質なターンテーブルやアンプがあったし。壊れたりでもしたら、解体してすぐに修理してくれたものだよ。

それらをいじって自然と音楽を作っていた?

昔はよくカセットテープを使って、いろんな音楽の実験をしていたんだ。まずはお手製のエレクトロ基調のブレイクビーツ*をゲットーブラスター(大型ポータブルラジオ)で流して、同時にタブラを叩く。それをレコーダーで録音。これを何度か繰り返して曲を作っていった。

*ドラムパートやリズムセクションの一部分をサンプリングしたもの。

初めて楽曲が出来上がったときはやはり感動しましたか?

まあね。でも、一つ大きな問題があって。カセットテープを再生するとどうしても「ジジジジジジジジー」みたいな雑音がするんだ。複製の複製版なんて、雑音がかなり響いていたよ(笑)。

さて、タブラの面白さがわかってきたところで、インド伝統音楽やタブラがもつエナジーについて聞いてみたい。インド伝統音楽といえば、ヨガや瞑想などで使用されるなどリラクゼーション効果があるといわれていますが、特にタブラが奏でるリズムやビートには、そのような効果がよりある?

そうだね。まず、音楽を奏でる楽器すべてにスピリチュアルな役割があると思う。タブラでもシタールでも、叩いたり弾いたりすることで「共鳴」が生まれる。それに、ヒンドゥー教の神話に出てくる神や女神を見てごらん。彼らはみんな違う楽器を弾いている。だから神に近づくとき、まずは楽器が目に入るんだ。インドでは、音楽やサウンドがそもそもとても高い次元にある。

本当だ、シヴァ神はダマルという太鼓を、サラスヴァティーはヴィーナーと呼ばれる弦楽器を演奏している。

インド伝統音楽の核あるものこそ、”ヒーリング(癒し)だ。エンターテインメントではない。音楽自体が、メンタルヘルスの重要な源になっているのでないか、と考えるようになったんだ。

タブラ自体が奏でるサウンドや刻むリズムに、ヒーリング効果がある?

そう、タブラのリズムとサウンドの組み合わせに効果があると思う。タブラの奏でるサウンドは、とても調和の取れた反響するようなもの。それに、タブラは幅広いベースのサウンドも網羅している。タブラのベースはとても低い音まで出せるんだ、お腹に響くくらいに(タブラの低音を実際に出す)。

本当だ。お腹に響くのがわかります。なるほど、これがヒーリング効果に繋がるというのは感じます。「インドの伝統音楽は統合失調症の認知機能の改善に役立つ」という研究結果もありますね。

インドの音楽のメロディーには、ラーガ*というものがあって、それぞれのラーガには演奏するのに適した時間帯が決められている。たとえばロマンチックな旋律のものは、夜の時間帯が良い。ラーガの音色や周波数が関係しているんだよ。この周波数が、体のチャクラ(人のエネルギーが集結し、出入りをしている場所)を開く。タブラには、幅広い周波数があるんだ。

*旋律を構築するための規則で、音列と同時に、メロディーの上行・下降の動きを定める。

Talvin Singh
Photos via Talvin Singh

なるほど。タブラのリズムはどうでしょう?

タブラのリズムには、動物の足音を真似しているものもあるんだ。たとえば、ゾウや鳥など。たとえば、5ビートのリズム…(リズムを口真似する)これはハトの足音。自然や動物の音から、タブラのリズムは作られたんだ。

タブラのリズムは、すでに自然からのパワーを含んでいるということか。神秘的です。

大昔は、写真なんかなかったでしょ。動物の姿を写真に収めることもできなかった。人々は音楽で、自然や動物たちを表現していたんだ。

自然と人間とのあいだに立つコミュニケーターのようだ。Talvinさん自身、タブラを瞑想時に用いたりも?

瞑想する時に使ったり、ヒーリングセッションで使用したりもする。特にコロナ禍で自宅隔離をせざるを得ない今は、瞑想の時間をもっと取りたいと考えているよ。

タブラを演奏する時には、実際にどんなパワーやエナジーを感じるのでしょう?

たとえばステージで演奏しているとき、最初は体が硬直しているんだ。でも、タブラを演奏し続けて慣れてくると、汗が吹き出て、筋肉が緩んできてすごく心地よくなってくる。体をマッサージされているみたいな感覚。そして、リズムやサウンドの感覚が、すうっと体の中へと入ってくるんだ。

気持ちよさそうです。タブラのリズムってどんな感覚なんでしょうか。

まあるい。たくさんの丸い輪っか。大きいものも小さいものもある。四角いことは絶対にない。いつもまん丸だ。でも時々、三角形のこともある。

なんで丸い?

サウンドやリズムのサイクルが丸いんだよ。そして、時々、丸のなかに三角がある。

(スピリチュアルの領域…)。またタブラのリズムやサウンドは、時にエモーショナルでもあります。聴き手はどんな反応を示しますか。

泣いたり、叫んだり、笑ったり。タブラの音が「面白い」と感じる人もいるようだね。それぞれ異なる感情を抱いていると思うよ。

Talvin Singh
Photos via Talvin Singh

演奏者として、Talvinさんはどうやって聴き手のエモーションを動かすのでしょうか?

一番大切なのが、まずは自分自身を心地よい気分にさせること。そうすると聴き手も同じ気分になる。いい音楽家というのは、自らの演奏を少し離れたところから客観的に見る能力が優れているんだ。演奏している自分が聴き手になるというか。演奏していることを忘れてしまうような感覚。たとえば坂本龍一のピアノの演奏、彼自身、弾きながら聴き手としても客観的にとても楽しんでいることがわかる。

Talvinさんと坂本龍一さんは、2001年に制作されたアルバム『OK』ではコラボレーションしていますね。

僕が作った楽曲を彼に送ったんだ。そしたら、興味を持ってくれてね。

それで共に楽曲制作することに。

彼は僕にとって師匠のような存在。昔、僕が映画音楽の仕事を受けた時も、電話してアドバイスをもらったんだ。彼は、いつもこれまでにないような独創的な音楽を制作し続けている。

坂本龍一さんをはじめ、これまで様々なサウンドのアーティストたちの音楽と、タブラでコラボレーションしてきました。タブラが他のサウンドや楽器と混ざり合ったときに発するエナジーのようなものはありますか?

まず、タブラはソロで演奏する楽器。基本的には繰り返しのメロディーラインで成り立っている。でも、他の楽器やボーカルの伴奏としてタブラを演奏するときには、もっと単調な繰り返しに徹する。タブラと他のサウンドが、代わりばんこで主役と脇役になる時に生まれてくるエナジーや個性は、これもまた意義深いことなんだ。

あなたにとって、アナログとは?

アナログは、もっともナチュラルで、オーディオをアーカイブするうえで、一番直接的なフォーマット。そして、あたたかみのある音に、耳に心地いいサウンドのこと。

Talvin Singh/ タルヴィン・シン

英国・ロンドン生まれのインド系英国人アーティスト。伝統的なタブラ奏者でありながら、ドラムンベースなどのエレクトロのビートを掛け合わせた音楽制作で注目を集め、1990年後半以降の、「UKエイジアン」シーンを担う一人として人気を博する。98年にリリースされたアルバム『O.K.』は英国の音楽賞Mercury Prizeを獲得。その特徴的なサウンドに、他のジャンルのミュージシャンたちからもラブコールは絶えず、これまでSiouxsie and the BansheesやMassive Attack、Björk、Madonna、U2、坂本龍一などの大物ミュージシャンたちとも共演や共作を果たしている。

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Words: Ayano Mori (HEAPS)